- 秋山 潔「時の温度/連鎖」
(2004、2018) 157cm×800cm
- 秋山 潔「時の温度 Touch the Time, Regeneration 18c-Ⅱ」(2018) 66cm×90cm
- 中村 陽子 「流」
(2018) 92cm×700cm
- 平田 星司
「Reckon noll elf – 頭上の妖精を数えよ
アメリカの建築家で家具デザイナーのフローレンス・ノール(1917〜 )による楕円のテーブルの上にアクリルの筆跡を置いた作品。タイトルは、Florence Knollのスペルからのアナグラム。
1990年代に最初の油性塗料の皮膜だけでできた作品を作った。それは絵画の基本的なプロセスが木枠にキャンバスを張り、メディウムが堆積して終わるのに対して、メディウム以外のものを取り除くマイナスの過程の想像的な試みだった。今回は身体の動きを記録するオブジェとなった筆跡と、かつてデザインされたテーブルとの出会いといえる。
筆跡の制作では、身体は画面に対し水平でも、また床置きの制作のように垂直でもない。筆は腰の高さに据えた画面に沿って前後に歩きながら移動する。視線を筆跡の先端の方に遠近法的におくり身体は傾く。剥がされた筆跡は空間の中で色を放ちながら自由に形をかえる。
巡礼者Ⅱ
2015年から発表。海中から採取した
ガラス瓶をそのまま展示する作品。瓶の表面のピンク色は「石灰藻」とよばれる藻類のなかの紅藻類の一種。テングサやアサクサノリなどの紅藻の仲間。その特徴は石灰質の骨格をつくることで、それが死んでも瓶の表面に残っている。
- 中村 陽子
「そもそも何故に自分は絵を描くのか、ましてや手指や掌で描こうとしたのかと。
いつだったか絵に行き詰った時、真っ新な紙に絵の具を垂らし、指でなぞってみた。なんと新鮮な感覚にとらわれただろうか。意味もなく夢中で描いた。思い返せば小学校入学したての頃、放課後一人残された教室で、ノリを混ぜた液状の絵の具で、先生に「指で描いてごらんなさい」と言われ一生懸命に描いたことが脳裏に蘇る。もっと遡れば幼い頃、石や木の棒で土や塀に描いたことを……。
友人の畑龍徳(建築家)は、「人間の内面宇宙には美的感受性という本能が存在していて、表現体の物質性が自ずと誘う〈美的陶酔〉なのだと。そしてこの本能に関してはそのメカニズムは永遠に謎とされているのだが、この本能世界が人生のさまざまな苦難を救ってくれるそうだ」と言っていた。
それが今の不連続連続図像(自分で言っている)に繋がって、先の見えない闇を描き続けているに違いない。
- 秋山 潔
「時間の厚み」について思いを巡らす事はなかなか興味深い。
時間は流れるのではなく積み重なると考える、物も事も人も関係なく均等に刻まれるのだ。そこには時間の厚みが、ものの表層に現れる。
鉄板や銅板に錆を生じさせ、直接和紙(鳥の子)にまたは写真をプリントした和紙に写しとる作品を制作している。
「視覚と記憶」という人間の根源的な問題を意識する時、それは視覚だけに留まらずその他の感覚まで取り込む。風のゆらぎや水の流れ、木々のざわめき、匂いなど、嗅覚や聴覚、触覚、時には味覚によって記憶される。
過去の印象は抽象化、象徴化され、新たな記憶のかたちで蘇ってくる。
「版」という意味、「剥がす」という行為の中から時間を感じ、そのものの本質が顕わになる「面」に、つまり表面に自身のパースペクティヴを向ける事が重要なのである。
薄く、深く、腐食によって変容する素材と向き合い、その様相を和紙の薄膜に閉じ込め、剥がす、その中に本質が濃縮され、表現として新たに開示される。それは時間に触れる事、時を映しとる事に他ならない。
- 秋山・平田・中村 展 宇フォーラム美術館 館長 平松 朝彦
望月厚介、美術評論家 大橋紀生 両氏のコーディネートによる三人展。
美術評論家の谷川敦氏ほか多くの方が来館。
まず秋山潔氏は時の温度シリーズ3点。日本にはわびさびの美意識がある。作者もさびの美に捕らわれた一人。金属の錆の転写は版をつくるという意味で版画だが一回だけしかできないので同じものをつくる目的はなく、また偶然性もある。思わぬ効果と同時に多くの失敗作もあるという。
長さ8m(高さ157cm)の赤錆色の大作「連鎖2014,2018」と銅の錆(緑青)色の2点。
圧巻の前者は鉄の転写であるから巨大な鉄の壁ということになる。絵の模様それ自体は不作為のものだが、さらに作者による意図的な黒い線が組み合わされる。
緑青色の「記憶の水(90cm×198cm)」は空の写真、「時の温度Touch the Time Regeneration 18-cⅡ、2018」65cm×89cmは風景の写真と合成。錆という時間的なものと空間的風景が合成されるという発想。
和紙(鳥の子)に転写された青緑が単なる塗装と違い複雑で美しい。特に後者は、かつての伝統的な大和絵的な花鳥風月の植物画を思わせる。これは写真を利用した新たな時代の日本画なのか?。
平田星司氏は大きな楕円テーブルに絵の具が「乗せられている」作品テーブルはフローレンス・ノールのデザインで243cm×137cm。題名は「頭上の妖精を数えよ」。
絵画とは画面としての下地がある。しかしこの作品は塗料だけで自立することを目指して別のところで作られテーブルに載せられ、一部はテーブルから自重で空中に垂れさがる。
作者のコメント「アクリルによる筆跡は定着しない素材の上に構成され乾いたあとに剥がされた。うすい皮膜となった筆跡は身体の記憶を宿し「地」の束縛から離れ、帯のように空間を移動する。そしてテーブルの上で新たな関係を結ぶ」。
もう一つは海の中から回収された牛乳瓶とおもわれる高さ24cmのガラス瓶ふたつ。題名は「巡礼者2、2017」。表面にはピンクの塗料のような海藻がびっしりとついた自然による作品。作者のコメント「生態環境における増殖と消滅の繰り返しがつくるイメージ」。
作者は以前よりガラス瓶に絵の具をペイントし、立体物の絵画化を試みていた。その絵の具がピンクの海の藻により入れ替わったとも考えられる。いずれも絵画の「ペイント性」という本質を問う試みであるが、それが試みでは終わらずアートになっている。また、作品タイトルも魅力的で見る人のイメージを広げる。
中村陽子氏の作品は3つの壁を使った4パターン。作品の特徴は「手」で描かれたフィンガーペインティング。人体、手で直接描くというのはイブ・クラインを始めとするアクションペインティングの系譜にあり、それは手の動きを記録するものでもある。
作者は長年この技法を手がけていただけあり(?)、単に手で描いてみました、ということではなく、工夫を重ねることによりいつしか独自の技法として発展させた。
まずは正面奥の高さをずらした赤い三部作の作品「浮-A、B、C」。サイズはそれぞれ120cm×120cmに描かれている。奥の和紙は黒の墨。表面の和紙は油で半透明に。手で描いた赤いアクリルの絵を表と裏から転写して複雑な模様を現出した新たな絵画。
右横面の8枚組7mの大作「流-2018」(高さ92cm)。和紙に胡粉、墨、油。黒系の下地に白の胡粉が生き物のようにうごめく。大橋紀夫氏のアドバイスでレイアウトした共作?。
手前の壁面には上下に60cm×120cm同サイズの二点。上は白のアルミの複合パネルに黒の油性インクで描かれた「宙-2004」は前衛書道を思わせ手の動きがダイナミックに記録されている。
下の「宙-2018」は和紙の日本画の手法として紙を皺くちゃにする「もみがみ」なる技法が注目される。表面に樹脂を塗りそれらが剥離すると同時に、紙の皺自体に顔料がしみ込み抽象的で複雑な模様ができる。そのひび割れもまた古い陶器のひびを思わせる興味深い作品だ。
これらの作品はいずれも組作品で、それらが多様に組み合わされて、もしかして作者が当初想定していない絵が出来上がっているのかもしれない。
三者の作品はいずれも当館の大きな空間の中で息づいているように感じた。今回、会場に足しげく通われた大橋氏にも感謝したい。
- 中村 陽子 上 「宙」
(2004) 60cm×120cm
下 「宙」
(2018) 60cm×120cm
- 中村 陽子 「浮」
(2018) 120cm×120cm(各)
- 平田 星司 「巡礼者2」
(2018) 高さh24cm
- 平田 星司 「頭上の妖精を数えよ」
(2018)243cm×137cm(テーブルサイズ)
- 秋山 潔「時の温度/記憶の水」
(2018) 90cm×198cm
- 2018 / 6月14日~7月1日
※ 展覧会の様子がパノラマでご覧になれます