レクイエム展

  • まるで何もなかったかのように東京は、東北は、そして日本は存在している。
    1923年、関東大震災で焼け野原となった焦土を2才9か月の平松輝子は母とともに父を捜してさまよった。
    1945年、日本軍は東洋の海で壮絶な戦いを繰り広げ、二紀和太留は多くの戦友を失いなぜ自分だけ生き残ったのか、と悩み、戦後は戦争の絵を描いてレクイエム展を開催した。それは彼らを成仏させることであり自分の魂を救うことだった。
    2011年、東日本大震災で東北の海岸に住む人たちの命と住まいは津波に奪われた。しかしそれらの悲劇の裏には国の大きな責任が見え隠れする。今、なにもなかったかのように巨大堤防が作られているが日本人にとって復興とは悲劇の責任と記憶を忘れるための壮大な虚構となった。
    2013年にすべてを流されたいわき市薄磯海岸を訪ねた時、大きなハープを設置し死者に音楽を奏でようとしていた若い外国人の3人組を忘れられない。パノラマ写真を撮ったがその中に彼等の姿も記録として映っている。
    音楽には「レクイエム」がある。キリストは十字架にかけられたがその時、キリストにささげられた音楽がレクイエムである。そして宗教絵画もまたキリストの受難に始まる。レクイエムは忘れることではなく死者とともにいることだ。画家たちが悲劇と鎮魂のレクイエムを描くことは彼らにとって必然である。風早小雪は薄磯海岸を幅9.6mの巨大絵画で定点観測的に描いた。平松輝子は母とともに隅田川に身を投げ奇跡的に助かった。その時の隅田川の3mの絵や火炎流、廃墟の絵は貴重な記録でもある。
    2011年に撮影した岩手県大槌町と薄磯海岸の幅3メートルのパノラマ写真も同時に展示する。
    二紀和太留の「荘厳」はあらゆる受難で命を落とした人々の鎮魂を願う。

  • 入場料 *一般:200円
    *会員、障がい者及び小学生以下無料




























































































  • 展覧会の様子

























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