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●マテリアル
アクリル、キャンバス 2016年
◆コンセプト:
基本的な絵画について考えています。サイズの問題、壁面に掲げる性向、物質と精神、空間と色彩などです。
キーワードは「絵画の光」です。誰でもが感じる、野原を吹きすぎていく風や光、大気のしずくなど、視覚に溶け込んでくる映像がイメージの根幹部分です。問題とすべきは物質としてのありようです。物質のことを考えると「光」という問題に直面します。絵画にとってそのことはとても重要です。線も色も必ず何らかの形を探し求めイルージョンを作るから光だけで十分です。私は今、絵画から装飾的なものを暗示するいかなるものも回避させたい、と、思っています。それが日本人のアイデンティティーを伴った表現にまで持ち込みたい。
また、パーマネントな造形要素で語るためには、色彩が大きな要素です。「色彩を通しての場の取り込み」これが私の制作テーマです。場を取り込むこと、それには大きな空間が必要です。それらからワクワクする感覚を引き出したいのです
- ◆略歴
- 2016 ARIO参加(アーティストレジデンスイン小田原)
2001~02 文化庁派遣芸術家在外研修員として欧州滞在(主にスペイン)
1998 アーティスト イン レジデンス(フランスマゼレールセンター、ベルギー)
1976 東京藝術大学大学院美術研究科版画専攻修了
1974 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業
●グループ展
- 2015 国立アートビエンナーレ(くにたち郷土文化館)
2014 星座的布置展(上野の森美術館)
2011 波浮港国際現代美術展(東京、伊豆大島、2012)
2010 日越現代美術展2010(国立ホーチミン市美術博物館、ベトナム)
2008 バーラトバーバン国際版画ビエンナーレ展、名誉賞受賞(インド)
2007 「DOMANI明日展」(文化庁主催、損保ジャパン東郷青児美術館)
2004 開館15周年記念「イメージをめぐる冒険」展(横浜美術館)
2000 第29回現代日本美術展、横浜美術館賞(東京都美術館、京都市美術館)等
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- 「五つの様相」展に
- 八 覚 正 大 美 術 評 論 家 寄 稿
五人の作家が、それぞれの主題を元に己の身心の重みをかけた力強い表現を展開した。
小品群は一階に常設されつつ、二階では前期後期とに分け大作を展開することによって、作家たちの「リビドー」を実感させるこの館ならではの展示空間が拓かれた。
菅沼 稔は、黒い台地と赤い空の鮮烈な世界を提示していた。それが微妙に変化する六作が一階にある。実は微妙ではない。3.11の大地と空は、くすみ崩壊したような地がせり上がり、くすんだ赤灰の空を狭く追い詰めた感じだ。他には鮮烈な赤と黒。《明るさのなかにある暗さを求めて? 記憶される映像? 嫌らしさ漂うニュアンス? もう少しだ、というのに何を躊躇するのか。そうしている間に沈んじゃうぞ》という作者の言葉が、展覧会のチラシにある。己自身に向けてのものか。
さて、後期には二階に油彩で350×530cm 2016年制作の大作「No.1616」があった。黄が全面を支配する世界。かつて田鶴濱洋一郎が白と黒(墨というより煤)で描いた無題の絵画群がこの美術館を黙したまま席捲したことがあったが、今回はこの作家の大作が展開されている。この美術館で見る限り、平松輝子、二紀和太留の大作にも匹敵するスケール、いやそれを超える大きさ。なかなかの経歴と、また収蔵されている作品は世界の有名美術館にも。巨大な色面群には、何かが見えて来そうで……でも押しつけてくるものではない。
最終日、ようやく作家と話が少しできた。中学時代迷っていた時、ある画家によって一閃の絵具を塗られた記憶、静岡出身の高校で美術の先生の描かれた坂からの光に憧れた日々、……現地のロスコ美術館(チャペル)まで足を運んだ感動……。
黄色だけの色面、赤だけの、そしてピンクだけの……その大きさ。部屋に溢れるオイルの匂い。もし、漱石以来の人間の行為の様相を「知情意」で捉えるなら……とふと思った。それは、実は「情→意→知」の順番として顕現するのだが(故松本元氏の書いた「愛は脳を活性化する」という本にあった。松本氏はロボット工学の東工大の博士で、かつてノーベル賞は確実といわれていたが、若くして逝去された方)。それを元に語るなら、書かれた言葉に感じられる煌めく知と思索(「菅沼 稔 制作ノート」と題された冊子にある)、そしてこれだけの大きな(身体を基準として)しかも抽象画面を展開させ続ける意を感じつつ、その元になる情はなんなのか……。人間はこの世に生み出され根付いた世界に開いていく、植物なら双葉を出して。その元はまず大地に接し養分を得るべく伸びた初源の主根なのだ。それゆえ、こちらにはまだ把握できていないものがだいぶ残されている(冊子の中の2000年辺りの、「Oil
painting ”Paraphrase” シリーズ」あたりにそれを感じもするが……)。
さて、私は関わった多くの芸術家のそれぞれの「主根」が何なのかを、対話の中から知りたいと、なぜか切に思う、一鑑賞者である。
5つの様相
- 平 松 朝 彦
・菅沼作品について
- 彩度の低い黄色、赤色、ピンク色の、面積を号数でいえば千号を超える巨大な絵画群。それらの色の彩度はライティングも一様ではない。そのテーマは光なのだと作者も語る。
- そもそも光は絵画の大きな主題だった。光はモノを照らすものとしてクロード・モネ、ポール・セザンヌをはじめ印象派の画家は様々の光を追求した。さらに光そのものを描いた画家としてマーク・ロスコの絵画も頭に浮かぶ。
- 今回の菅沼作品はそうした系譜にあるがその色の面が一様でないことからさらに立体的、空間的なイメージをもたらす。
- そもそも1925年のパリで行われた国際的前衛展「今日の芸術」において抽象絵画とは「絵画とは、もはや自然と観客を結ぶ中継地ではなく、形態と色彩の力によって感覚に、そして精神に直接働きかけるものである。」(展覧会カタログの冒頭の一文)と定義された。
- 巨大な色彩に囲まれるとまさにそのことを実感する。抽象絵画という実験は今でも続いている。