2022/3月3日(木)~ 3月20日(日)
「祈り」
「ギリシャ神殿」
展覧会 会場
左 「荘厳 天の光マンダラ」
平松輝子「春風松図」160×440
写真 平松 朝彦 「大槌町」
田中義一「木立ち」(木版)
ピカソ 「ゲルニカ」(エッチング)
宗教画 「キリスト再臨」
「断面・線 (部分)」
チベット経。「法華経」
平松 朝彦 「死者の書」
※ 展覧会の様子がパノラマでご覧になれます
3月1日現在、ロシアによるウクライナ軍事侵攻により、ウクライナでは祖国を守るために戦う人々がテレビに映されている。
それを見て、急遽、二紀和太留の荘厳を展示した。これは大東亜戦争で亡くなった戦友を悼む絵だから。
「文字シリーズ」
平松は、1975年に西ドイツ時代の文化の中心地デュッセルドルフ近郊のカイザーウィルヘルム美術館で個展をした。平松は書家ではないが自在の筆の使い手だった。日本の文化の一つの「書道」は、西欧の人に人気があるといわれる。しかし平松の書は従来の外国人が好む異国趣味的な「書道」ではない。定型化した日本の「書」ではなく「新たな文字」を生み出したが、それはいわばミニマリズムな絵画。絵画の俳句。かつ日本の美意識の原点は「清浄の美」である。優美でやわらかな薄墨の多用、たらしこみによる使う繊細で広い面は「薄墨の美学」であり偶然の生み出す自然の美でもあった。たっぷりと水を含んで、濃淡、きわめて細い線から面のように太い線まで一筆で瞬時に描き分ける驚嘆すべき技術。筆のスピード感。下地の和紙への様々なしみ込みにより様々な作品が生まれた。
・作品の説明
「ギリシャ神殿」
平松輝子は、関東大震災で奇跡的に生き残った。29歳の父は亡くなり焼死者の重なる焼け跡を彷徨した苛烈な体験によりたくさんの悲惨な光景を描いた。ギリシャ、エジプトの遺跡を巡ったが、それらは神に祈りを捧げる聖地である。神はこの世を作った創造主であると共に、人々を救済する救済者である。かつて坂田一男は宗教を甘美といい、そうした絵画のことを肯定している。死者の霊を慰める鎮魂レクイエムの絵画。平松にとって美術とは人を救う宗教のようにならなくてはならないと考えた。
・二紀 和太留
題名の「荘厳」とは仏教用語である。それは戦死した戦友の鎮魂を願う絵にふさわしいように思われる。
展示作品は、まず、一室を満たすギリシャ神殿。高さ3m、幅1.4mの作品が9枚並ぶ。平松はエジプト、ギリシャなど聖地を巡礼した。
さらなる一室はカイザーウィルヘルム美術館で個展した墨の作品。書のようでもあるが薄墨、垂らしこみなどを多様化した絵画である。
平松輝子は、関東大震災で奇跡的に生き残った。
29歳の父は亡くなり焼死者の重なる焼け跡を彷徨した苛烈な体験により、たくさんの悲惨な光景を描いた。ギリシャ、エジプトの遺跡を巡ったが、それらは神に祈りを捧げる聖地である。神はこの世を作った創造主であると共に、人々を救済する救済者である。
かつて坂田一男は、宗教を甘美といい、そうした絵画のことを肯定している。死者の霊を慰める鎮魂レクイエムの絵画。平松にとって美術とは、人を救う宗教のようにならなくてはならないと考えた。
・田中 義一「木立ち」(木版)。
祈りというテーマにふさわしい一枚。 田中さんの作品は、宮沢賢治を想起さ せる敬虔な作品。
・ピカソのエッチング「ゲルニカ」。スペイン内戦の時にゲルニカ地方はドイツ軍の無差別爆撃にあった。
・フランスで購入した宗教画。
(古いキリスト教の版画コロタイプ)は、キリスト再臨の場面だが、細密な書き込みは見ごたえがある
・その他の展示作品
・平松朝彦「死者の書」。私の作品は、二点の経を組み合わせたもの。
一つはチベット文字で書かれチベット経と法華経のメモがあり、もう一つは見事な筆文字で書かれた藤原時代の大般若経。
チベット経を知ったイギリス人のエバンス・ヴェンツは、それを死者の書「バルド・トドル」として世界に広めた。死者の書とは、死にゆく人、及び死後49日間、死者の耳元で唱え続けるもの。チベット仏教によれば、死は終わりではなく生と死を繰り返す旅の途中で一つのプロセスに過ぎない。
生命の本質は心であり、その心の本体は純粋な光。死の直後にこの純粋な光が誰にでもあらわれてくる。「実体のない空なる心と生命の光り輝く光明。これが一体となって大きな光の集成を形成しています。ここは不滅で生も死もありません」(エバンス「チベット死者の書」)。