平松輝子 回顧展 浄土の風景の記録

 平 松 輝 子 回顧展  浄土の風景

            

               

                2019  1月10日(木)~20日(日)

                    2月 7日(木) ~17日(日)

          

 

 

  展 覧 会 の 様 子

「山雨」墨、銀紙   作者の平松輝子 氏

「ピラミッド神殿」 

「石と水」部分詳細

「廃墟」

「流転」部分詳細

「火の粉」部分詳細

「日輪」部分詳細

「天体」部分詳細

「一万の石の雨」 

「みやびの大和」  作者の平松輝子 氏

「無題」アクリル、和紙、照明入りアクリルボックス 1970 

「プランツ」アクリル、和紙、アクリル、和紙
アクリルパネル3枚組 1970

 今回ビデオ「世界で最も美しい絵The most beautiful painting in the world」を用意した。ビデオの解説は次の通りである。

・世界で一番美しい絵
 「みやびの大和(アクリル・和紙・箔)1970、1.8×3.6m」、「日輪(アクリル・和紙)1965、0.77×0.4」、「氷紋(アクリル・和紙)1965、1×0.9m」、「フォレスト(アクリル・和紙)1965、1.2×0.76m」、「プランツ(アクリル・和紙ラミネート)1970、1.8×0.9×0.01、3枚」、「蝶(アクリル・和紙ラミネート)1970。7×8×6.5cm」。
 透明アクリル絵の具が和紙に染みる。様々な色、模様が混じりあうが濁らず、無限の色彩が生まれるという透明アクリルの本質を生かした美しい作品。
 和紙ラミネートとは、和紙にアクリル透明タイプで描いた絵を透明のアクリル板でラミネートし一体化したもの。和紙は半透明となり、空中に色だけが絵として存在する。


・世界で一番繊細な絵

 「石と水(墨・和紙)掛け軸 0.7×0.35m」。墨は微小なコロイドとなりミクロな模様を自動的に生み出す。それは人為ではできない。
・世界で一番大胆な絵
「擬(墨他ミクストメディア)1964、1.8×0.9m」、「流転(墨・和紙)1.4×3.0m」、「天体(墨・和紙)」、「禅(墨・綿キャンバス) 1978、1.6×1.3m」、「円(墨・和紙) 1983、2.4×2.4m」、「ピラミッド神殿(墨・和紙)1989、3×4.2m」。
 擬は1964年渡米前に作成したダダ的作品。アルミ、石膏などを使い平面だけではなく立体的な造形である。
 「禅」は、綿キャンバスに描いた書的作品だが、力がみなぎる。
 その他の墨の作品は和紙に描かれているが、構図が大胆。


・世界で一番悲しい絵
 「一万の石の雨(アクリル)1964、1.55×1.85m」「廃墟(アクリル)1970、1.55×1.85m」「火粉(版)1.8×0.9m3枚組」。
 作者は2歳9ヶ月で関東大震災に遭う。空には黒煙が立ち上り地上には赤い火炎旋風。人々は空中に巻き上げられ地面にたたきつけられ黒焦げとなった。3万8千の死体が累々と連なる光景が広がる。黒い死体の山の中には数時間前まで談笑した29歳の若き父がいるはず。父を探して家族と歩いた。
 何も知らないニューヨークの画廊主はその絵を「一万の石の雨」と名づけ、三宅正太郎は「悲劇の様相が漂う」と新聞に書いた

 当美術館は、1999年に開館して今年20年を迎える。美術館のメインは平松輝子だが、作品数は3000点以上。彼女ほど世界の現代美術の中心にいた人は世界にいない。
 1960年代中頃のニューヨーク・チェルシー、60年代後半のカリフォルニア、1970年代のデュッセルドルフ。ニューヨークはちょうど抽象表現主義が終わりポップアートの時代が始まりつつあったが、現代美術が一番充実した時代だった、という人もいる。
 60年後半は美術とは直接関係ないが世界が西海岸カルチャーブームに沸いた。
 70年代は西ドイツのデュッセルドルフ発のコンセプチュアルアートが世界の美術を席巻した。そうした美術の潮流の真っ只中で作品を発表しつづけた。

・1960年代渡米 「アクリルと和紙の出会い」
 平松輝子は1964年に44歳で渡米しニューヨーク・チェルシーに居住した後67年から69年までロスアンゼルスに移る。
 ニューヨークでリキテックスなる新しいアクリル絵の具を知った。それは水性でありキャンバスに付着させるためジェッソなる下地材を塗らなければならない。しかし平松は、和紙をキャンバスに付着(コラージュ)させる方法を考案した。その和紙に水性の塗料を染みさせた。描くのではなく染みさせる。
 当時のニューヨークでは、モリス・ルイス、フランケン・サーラー、ポール・ジェンキンスなどシミ派と呼ばれる表現が生まれていたが彼らを驚かせた。
 染みさせるとは東洋の水墨画に源流がある。染みるとは人為を離れるできごと。
 69年に帰国すると、和紙にアクリルで描いたものを透明のアクリルで挟んだ。和紙の紙の白色は消えて半透明になり、絵の具の色だけが浮かび上がる。それはステンドグラスのように光を透し、光る絵画となった。それは和紙という傷みやすいメディアの欠点を解決するものでもあった。

・1970年代渡独「墨とキャンバス」
 73年に当時の西ドイツの中心地デュッセルドルフに行き10年滞在し30回個展。墨で書を描いたが書といっても大きな前衛の書。
 ドイツでは大きな和紙に墨で描くのは空気が乾燥していて困難だったためにアメリカでしたように綿布にジェッソを塗り墨で描くという手法を開発。不思議なことに墨はまるで和紙のようにかけた。そしてドイツで日本の禅の思想を説いた。
 しかし彼女は画家だから単なる禅の思想ではない。絵を描くために無為にならなければならないということ。無為とは禅の思想である。
 描くという意識を捨てれば絵は勝手に描かれていく。輝子は「私が描いたのではない。水(墨)が描いたのだ」という。
 自然(あるいは神)という見えざる大きな力が絵を描かせるのだ。そうした禅の根底には、関東大震災の壮絶な体験がある。輝子の家では地震で亡くなった父のために色即是空という経は毎夜唱えられた。この世のはかなさ、虚無感は子供の心に宿った。関東大震災の光景はニューヨークで再現されデビューのきっかけとなった。
 エジプト、ギリシャ、中国。世界をめぐり描きうつす。それはこの世が生死の浄土であると知ったからだ。神が下りてきて作品をつくる。それが芸術の世界なのだ。


 二歳九か月で目撃した世界が炎上する光景が平松の原風景。関東大震災の時に彷徨った焦土の地獄絵は1966年のニューヨークの個展で再現された。しかしそれを知らないニューヨークタイムズの著名美術評論家は美の世界と絶賛した。
 平松は壮絶な体験を経てこの世は神のつかさどる生死という浄土の世界だと悟りそれを描くことだけを仕事とした。絵画とは目的ではなく仏教、禅と同様に神的世界を表す手段であり、誰も真似できない彼女の発明した技法は、その世界を描くために必要とされた。
今回代表作を始め大作「ピラミッド神殿」など当館未発表の作品など一部展示を変えながら開催した。

















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