ARTFESTA 2016 の記録

     ARTFESTA 2016

2016 アートフェスタ  作品一覧

※ 展覧会の様子がパノラマでご覧になれます

中村ユキ「Memory of Blue」

飯島 浩「RvsY」

熊倉 伸代「石化した街、植物的街」

井藤 大「生きる1」

播磨洋祐「写真1」

伊藤 英治「第18共徳丸」

瑞慶覧  かおり

木藤 恭二郎「譜」、「宙」

中ぞの 蝶子「VIGOR」

瑞慶覧  かおり「水鳥の花環(部分)」

細野 悟「彼女は赤い車でやってきた」

平松 朝彦「死者の書」

八覚 正大「摩耗・堆積・偶然の美」

八覚 正大「摩耗・堆積・偶然の美」

八覚 正大「摩耗・堆積・偶然の美」

原田 丕「ONITA-2014」

中ぞの 蝶子「Kara-ginu」

青山 穆「混沌」「不条理」

青山 穆「混沌(部分)」

中里 紫泉

青山 穆 「不条理(部分)」

矢崎 治彦「エッケンドニ村の人々」

矢崎 治彦「村民」

須部 佐知子 「水-1」

    今年の会員展に目を開かれて


                         八 覚 正 大

 ここ何年も、宇フォーラム美術館の秋の会員展を見る機会に恵まれ、己も創作とは程遠い展示と、微かに詩もどきの言葉を吐いてきている。
命を賭けて創作に励んでいる諸兄諸姉には無礼なことと自覚はしつつも、膨大に観て触れてきた美術というものへの憧憬と、脳内に数多浮かんでは消えて行った美への概念を、ほんのわずかでもこの世に生んでみたいという儚い野望がある。また美術という人間の純粋な行為が、いかに鑑賞者に伝わり共有できるのかということへのささやかな目論みもある。
 たまたま宇フォーラム美術館との遭遇から、それがこのように進展してしまったことは、なんという驚きだったことか。特にこの五月「アフリカの顔」展をやらせて頂き、多くの見識有る方々のお目に、拙いコレクションを供せたばかりか暖かい言葉を頂いた「快感」は忘れ得るものではなく、(詩)創作展示という行為に今更ながら触れさせてもらってもいる。
 であるならば、今回出品された作品の全てに、拙い色眼鏡ではあっても多少なりとも感想・批評と言ったものをお返しするのは、ある種恩返しのようなものだと筆を取った次第である。作品は提示した瞬間から作者の手を離れ、見る者にすべて任される……というような、古き放りだし依存型?価値観にも有る時期触れてはきたが、実は創った行為が絶えず鑑賞によって、「いまここ」に呼び返されるのは、まさに作者と鑑賞者との直接対話を介した時であり、その時にこそ有効にリアルに創作の意味と価値も開かれ得るのだと実感するに至っている(インターネットが普及し、商品としての流行こそが美術だ――のような、生命力から程遠い捉え方とは真逆に!)。
 それは「いまここ」で共に玉手箱を開く共有、協働の姿勢であり行為であり、生きている芸術を実感する対等の立場だという最近の思いに直結している。絶えず思索をし、思考・試行を更新していくこと。あらゆる過去は、「いまここ」のために有るのだと、そんな思いに貫かれつつ、いざ、今年の会員展に触って行きたいと思う。


   二階第一室から(己の歩いた順に)、


 中ぞの蝶子「Kara-ginu」「VIGOR」

 前者は赤い紙に金粉が施されスリットが入れられている。そこに光を当てて浮き上がらせ、また壁に掛かった後者の下に影を映す。後者は緑の背景に銀の草が生え、画面を超えて銀粉が光る仕掛け。作者の意図が二つの作品の距離に隠されている気がする。空衣を抜けだした精魂が荒野に精気を彷徨わせるかのような(唐衣ではなく空衣とお聞きして、空蝉・現人(うつせみ)……まで連想させて頂いた)。


 細野悟「彼女は赤い車でやってきた」

 シルクスクリーンの二枚を連結させた作品。支配的な赤、気押される黒、上部にさり気なく見える青、の明快・軽快でどこかユーモラスな作品。彼女の赤い車がスッと尖って蟷螂のメスのようにも見え、眼鏡を飛ばされそうな男のうれしくも唖然とした姿がちょっと哀れに、ほほえましい。練達の版画家。宇フォーラムではデビュー作。


 原田光代「生」

 画面は抽象的でオレンジ、黒、緑が混ざり合っているが、オレンジがもっとも満ちていて、心の前向きな明るさが感じられる。


 木藤恭二郎「宙」「譜」

 前者は硯のような四角い黒の枠、少し歪んだその矩形の縁が円い鋲でとめられたような。後者は縦長の画面。そそり立つ岩? 鋭い刃? でもその黒金には木目もあったりして……。それぞれに込められた思想が感じられる。形、全てのもののもつ形に着目し、デッサンは八千枚もあるという。それらを作品にしていきたいと(でも、日々またデッサンも増えて行くとすると、追いつくのだろうか?と勝手な心配(笑))


 長谷川博「手探りする風景」「出土する声」「静物」

 「出土する声」に特に惹かれた。白い折れ線が表面にあり、それは曲線にもなる。全体的には赤い画面。その下に無数の線が隠されているような……人生の様々な行為と繋がりの集積のような。筆者にお聞きする時間が持てた。白い画布に、まず薄い鉛筆で自由気ままに線を走らせる。線は交差し交錯し閉領域が出現する。そこをまず黄色で、それから赤で……と面に塗って行く、ボールペンで。それも上塗りするごとに繋がり重ねられていく。初めは無意図的行為が、やがて現れた線や面の形への興味となり、作品は進められていく。作者の生成的な創作過程と、見る側の外からの直感的俯瞰的な眼差しが、現前する画面を介して対話によって繋がれていく……貴重な体験が齎された。作品を創る側もまた見る側も、つねにいまここの行為と、その更新を介してのみ、作品は実在化するのだ、と実感し直す。制作に四カ月はかかり、ボールペンも四、五十本は空になったと……。


 塩見京子「クリスチーヌ」

 粋な女性が座っている。コラージュされた外枠の木と葉と花。髪、胸、胴、太股は螺旋で描かれ、躍動感を感じさせる。女性の持つ命の質感がさり気ないタッチでけっこう大胆に表されている。ちょいと良い女~クリスチーヌの響きがグー。


八覚正大「《磨耗・堆積・偶然の美》の六点」「修復と 思い込みと 人為」

 インスタレーションといえば聞こえはいいが、まあ概念芸術のつもり。詩もどき解説。今回目につかなかったと思われるが、品を乗せた板は、オーソセラス(直角石――オウム貝の絶滅した仲間)の化石が何百も堆積したモロッコ・アトラス山脈産の化石板。薄いが五十キロくらいあるようで、搬入にはパフォーマンスが要った(笑)。今後、美術館内に常設させていただけるようなのでよく見てほしい。彼らにも数億年前、この地上に命があり行為をしていた……どんな?。 
木藤恭子「瞬くとき1」「瞬くとき2」 前者は灰色が基調、後者は黒が。内面の覚醒を表しているような気がする……コラグラムという手法の版画。あまり刷れないものと、え、1/1って作品そのもの? 


 瑞慶覧かおり「水鳥の花環」「猫の花環」

 双方、八羽、八匹の輪。前者は羽が花に変容し、後者は子猫が花に包まれている。フレスコ画、その使い手も少ない中、文献など研究もしつつ描いていると。画面に色を載せるというより、画面に染み込んだ絵具がそこに一体化してしまう、勝負はそれまでの八時間。美しい装飾的な画と思われつつ、目を凝らすと鳥の目にはキャッチライトの一点が見事に魂入されている。また一羽はくちばしを水に入れ、正面の一羽は後姿しか見えない。猫の顔もけっこう異なる(本人は飼っていないが、ちゃんとモデルはいたそう)……そんな技術の確かさが支えている美だ。

   二階奥


 望月厚介「SUPERFICIAL B102」「LIKE A TV-GAME」

 前者は上下の美しい青の間に、左右対称に近い金色が映える。それが鳥、大きくいっぱいに羽を広げた孔雀に見えてしまう。しかし、覗きこんでも鳥などはいず、それはなんと作者の足の裏の皮膚を写したらしい?……が見事なシルクスクリーンだ。後者は湾岸戦争の素材写真を元に、油にまみれた鳥、戦車、そしてモーター? テレビのブラウン管の奥のコイル? のようなものが配置される。ある種批判的なメッセージが込められていると思われるが、画面構成のバランスの良さに特に惹かれた。
 須部佐知子「水-1」「水-2 」 

 海辺の光景の写真の粒子を拡大し、独特な技術で処理する作品。これって、あの福島の3.11の汚染物質の処理袋……と伝わってくる。この表現は、リアルな現実を見る以上に、一見迷彩されたようでいて何か潜在意識の層に訴えてくるようだ。他にもっと見てそのメッセージ性を確認したい。


 矢崎治彦「エッケンドニ村の人々」

 はっきり言って圧倒される。この中世ヨーロッパらしい村は架空で、作者の頭の中にしかないというのだ。しかし、それが日常さり気なく自然に降りてくると、その人物を描くのだという。名前も出てくれば付ける。リアリティという言葉を通り越して、長い時間をすり抜け跨いだ一人ひとりが今そこにいる……そんな感じだ。以前見た時は、エッチングのような版画かと思われた。しかし作者は、鉛筆、色鉛筆、そしてボールペンなどで、一つひとつ描くのだ。ざっと数えて今回五十を超える顔が集結した。ただ村はこの何倍もの住人がいるという。だれか、この作者の創作への姿勢と、生み出し続けられてきた顔の画に、もっと声をあげて欲しい気がする。


 中里紫泉「古好」「徳」

 前者は論語から取られた題材。無為無意図な古を好むこと。小林秀雄も好んで用いていた言葉という。後者の迫力はまた凄いものがある。パワフルでかつ、うねり引きつけるような徳である。


 原田丕「ONITA-2014」

 不思議な画だ。桜の花びらのようなものが、ひっそりと淡々と降っている。静謐と思いきや。血のような滴りが随所に見られる。汗も流れているのかもしれない。地名らしいが。


 青山穆「不条理」「混沌」

 前者は墨がぼくっと塗られ、そこが切り裂かれ捲られている。後者は円形がいくつも描かれ、画面は丸く白く切り取られている。一見切る、切り取るという行為が、見る側にちょっと怖いような意外性を与えるが、すぐにユーモラスに溶け込み、作者の楽しみの感覚が伝わってくる。切り裂き画面といえば、かのフォンタナが連想されるが、墨の画にこうして切り裂き、裏地もある、新しい空間を模索する作者の前衛性が若々しい。

   一階

 
 小幡海知生「遊」

 カラフルな楽しそうな魚たち。みんな右向きかと思っていたら、上向き、そして逆さになっているものもいる。魚たちは画面に詰り過ぎず、楽に呼吸し画面を回遊している。明るい生命力が小気味よく跳ねている。


 平松朝彦「死者の書」

 縦に大般若経、横にサンスクリット語のチベット死者の書。なんと中学時代の修学旅行時、京都で購入したものを今回パソコンに取り込み画像処理したとのこと。最近の宇フォーラム美術館は、様々な掘り起こし掘り返しが感じられるが、館長の生育学校時代の記憶もその一つなのかもしれない(笑)、庭の松と芭蕉は巨大に繁茂しつつ。


 伊藤英治「壊れた鉄橋 3.11より」「第18共徳丸」「災害の記憶 3.11より」
 鉄橋が壊れ落ちた場面。船の舳先がぬっと前に突き出てくる異様な感覚。潰れスクラップになった車の数々。いまだに災害の生々しさが迫ってくる。災害に立ち向かい、記憶を残し続ける画家。


 酒井裕美子「夜の橋」「天使の塔」「美しい緑の鳥」「階梯」「2匹の魚」「花冠」「箱島」「マリオ・ジャコメッツリに捧ぐ」「広場にて」「やまない雨」「アンブレラ」「夜の庭」のエッチング12作。

 細く長く折れ曲がる「階梯」、町に被さる大きな傘の「アンブレラ」などに惹かれた。


 播磨洋祐「写真1」

 怨念を潜めたような猫の顔はインパクトがある。反対側の壁まで退くと猫の目が見えてきて少し安心する。写真を処理したものという、でも画に見えてしまう……作者は、描き込まなくてもかように見せられる芸術とは何か?! を追究していると。


 中村ユキ「アトリエ日記」「Memory of Blue」「アトリエ日記」

 一つずつ織られた布の小片を二つずつ組み合わせた作品。太陽、建物、畑、丘陵……。縫い目と画のタッチは似ている気がする。


 井藤大「生きる1」「生きる2」

 指で描いたような筆の線。オレンジ、黒の線に投影された命。行為のなんたるかにじかに触れえ得るような作品。


 熊倉伸代「葉陰」「冬枯れの小菊」「草冠の庭」「太古を孕む」「鎮魂の宴」「石化した街」

 黒を基調にした植物の描写、だんだん抽象化されていくようなプロセスに見ごたえが感じられた。自然に素朴に、驚きを持って身の周りを眺める、その目がなかなか思索的な感じを与えてくる。自然災害があり、それが人為的なものであっても、生きつづけ現れてくる植物への素朴な驚き、畏敬の念。
 雨倉充「環」「還」「帰還」

 静かな瞑想の中を三枚羽の記憶がうっすらと舞う。それは過去、現在そして未来に向かうものと。それにしても「還」の少女の横顔が、仏像にも、イコンにも通じる様々な聖性を連想させながら、赤子に近い肉感を残して秀逸に感じられる。今回、この美術展にはデビューされた新星。


 高橋真理「生命の神は細部に宿る」「美の神は細部に宿る」

 前者は、鳥、葉、太陽、桜、雲、ひまわり、畑の女性、紅葉、つた、雪、白鷺……四季に寄り添った作品。後者は一連の蓮の花の写真。どれも静かで暖かい眼差しによる発見。特に緑のつぼみは可能性を秘めて美しい。

須部 佐知子 「水-2」

矢崎 治彦「村民」

望月 厚介「SUPERFICIAL B102、表相として」

木藤恭子「瞬くとき」

塩見 京子「クリスチーヌ

木藤 恭二郎「宙(部分)」

塩見 京子 「座る女」

酒井裕美子「二匹の魚」

小幡海知生「遊 夢の中に」

原田 光代「生」

長谷川 博「出土する声」

雨倉 充 「還」














  

 




 

















































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































高橋 真理「美の神は細部に宿る」