須部佐知子「回顧展」・伊藤英治「東日本大震災レクイエム」の記録

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  •   二人展 伊藤英治(東日本大震災レクイエム) 須部佐知子(回顧展)
                                        八覚 正大

  •  暑い夏の七月半ば。宇フォーラム美術館へ足を向ける。庭には松の向こうに芭蕉が隆盛している。かつて松尾芭蕉がその生命力を称賛し己の名前に用いたという。小生根っこを初春に一つもらい〈芭蕉友の会員〉? いま本宅の庭で元気だ、欲しい方は館長に声をかけては……そして山百合もだいぶ咲き出している。
     さて伊藤英治さんの、車のクラッシュ絵画は何度か当館で拝見したことがある。トーンはどちらかというと明るいが、かなり克明な描写とこれでもかという廃車の量は災害の迫力を充分に感じさせる。今回は第一室が、その絵画で埋まっている……。
     そして須部さんの作品を第二室で観ていると、その伊藤さんが来られて盛んに説明をされ出した。須部さんがニューヨーク(ワーセンター)で石膏など用いて作った四十体もの人体作品群、それから「持ってしまった哀しみ」と題して作られた国旗が飾られた埼玉某小学校でのインスタレーション作品(持つ者とは核の保有国のこと)、それから綿を大胆に大きく四角い立体にした作品(数メートル四方で厚さも腰下くらいまでか、それが床に反射して倍に見える。上に一つ照らす灯りの存在が雲の絨毯の上の星のように印象的)……これらは回想の形で壁に写真で貼られてあった。それを熱心に説明されるのが、夫・制作協力者でありスポークスマンのような伊藤さんというところが、お二人の制作・関係を彷彿とさせた。
     今回、須部さんの写真から起こした「樹木の陰影」「波打ち際の泥袋」もやはり当館のアートフェスタなどで拝見した記憶がある。写真の画面は大粒の画素からなるが、画素をそのように拡大して行った時、人間の認識はどのような印象を持ってそこから〈遡り原景を捉える〉のか、その実験を果敢に行っている気がした。また面白かったのは床に転がっていた七、八十個の「小さな包み」。布切れを縛って包んだものが石膏で固められている(制作過程では内部に風船を入れ、完成とともにそれを取り出したとか)、中は空。作者は(己の)頭をイメージしたと言う。それらが円形に集められ転がっているのだ。触り持たせてもらうと軽く手に優しい感じ、それらが一つひとつ違い、何とも微笑ましい……と思っている内に、頭蓋だとすると……積み上げられたキリングフィールドの記念資料館の頭蓋骨なんかを連想もし少し怖くなった。それから周囲を見回し拘りのない作者の言葉を聞くと、壊れにくければ子どもたちが来て持って触って、中に何か一つずつ入れて……遊べると思ったりもした。
     立体の芸術品は展示が終わった後、壊されるか長い収納の期間に入る。そんな御苦労などのお話もお聴きした。(上記のアメリカでの作品群などは、運の良かった数体を除いて壊してしまわれたという。)
     戻って、伊藤さんの絵画作品は前述したように《災害の記憶》シリーズとして3.11の大被害の、破壊された車をひたすら集め描いた絵画群。多く並んだものより、一台を克明に描いたものの方がこちらには迫力を感じさせた。その根底には、作者がかつて路上その他で「潰れた缶」を集めまくったことがあるようだ。赤瀬川原平の概念芸術「トマソン」――それに影響を受けたという(そして実際見つけたものの写真を送りそれが秀作として評価されもしたと)。そこから本人なりの〈潰れた空き缶拾い〉が始まり、膨大な数を集め一つひとつの写真も撮ったと。この世に人為的に生み出され利用されたものが無惨に? 廃棄される。その廃棄物をひたすら回収し、そこに命を吹き込み直すかのような制作スタンス。それが3.11では潰れ破壊された車群に集中的に向けられたのだと。社会批評的な観点を持った作品群、〈回想〉と〈いまここ〉、お二人の協働と長い創作活動の履歴その記憶の想起と、それらが混ざり合い浮かび上がる、なかなか見ごたえのある展覧会と感じられた。
     そう書いてきて少し経ち、また出掛けて見直してみた。
    伊藤さんの作品は災害を扱っているのにやはりどこか明るさのトーンが湧いているように感じられる。それは単に希望を持とうというスローガン的なものではなく、社会的な価値の俎上から剥落したものに復活の可能性を視ようとする芸術家固有の性格・矜持かもしれない。
     一方、須部さんの作品群は、そのスケールと発想の妙を感じさせつつ、社会批評性を持ちながらも個の発想を失っていない。それは商業ベースに纂奪され得ないこれまた芸術家固有の遊びを体現しているからかもしれない。
      
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  •    須部 佐知子 伊藤 英治  二人展
  •                                  宇フォーラム美術館 館長 平松 朝彦

     この作家二人は夫婦で、同じ年生まれの、足すと160歳近いというギネスものの展覧会だ。
    かつて戦後に、ジャックの会という前衛美術団体に参加していたという経歴。二人三脚の人生だったに違いない。しかし作品の傾向はかなり違う。伊藤さんは、当初、幾何学抽象系だったが、その後アニメ会社に所属して作画に腕を振るう。本格的に絵画を取り組むのは会社をリタイヤしてからだが、その時は、油絵の具象で腕を振るうことになる。一方、須部さんは、立体のインスタレーションだった。平面の絵画に取り組むのは最近のことらしい。
     両者の一つの共通点は、絵のテーマが社会につながること。美術は発信の道具でもあるとおもわせる。そしてそのことは、きわめて今日的だ。 
     まず、須部さんの展示は伊藤さんにいわせると回顧展だというのだが、準備不足でわかる人しかわかるまい。パネルをたくさん用意したのだが、説明文が足りない。しかしその写真を見れば、わかる人にはわかる。平面絵画と、今までのインスタレーションの回顧的展示、そして立体のオブジェの三つがある。そしてそれらに美術的な共通点は白と黒などという無彩色。彼女は1986年に埼玉近代美術館で開かれた世界のそうそうたるアーチストの作品を集めた「今日のブラックアンドホワイト展」に選出された輝かしい経歴を持つ。それは布団形状の綿の上から電球が吊り下げられたもの。実は二年前に同館で行った彼女の展示がカタログ写真となっていて紛らわしい。写真ではあまりわからないが推測すると半透明の綿は電球の光を通し、明暗の立体的グラデーションを作ったと想像される。
     私の勝手な理解だが、それはまた雲と太陽の関係を思わせる。飛行機に乗ると雲は窓の下の存在となり、あたかも人は雲の上の存在、雲上人となる。雲を下に見るという無重力的世界の体験は、須部さんの「wataについて」と同感覚の非日常的なものだ。明暗のグラデーション傾向はその後の平面絵画にも見られ、景色は白と黒と灰色の三つで分解される。それは平面の作品につながったのだろう。しかし今回の新しいDMの平面作品「会話を楽しむ」という題名と裏腹の、人間たちの情感の欠如は何なのか。人間不在?
    埼玉県立美術館の2000年のインスタレーションであるが、「CLOTH墨染」がやはり目を引く。布を被った多数の人物、それはたんなる大きな布一枚でできている。その人物の形は布の重力による皺だけで表現される。それらの人物はしかし皆、同じ背格好で顔を隠すようにうつむいていて、何か深刻な話をしている場面のようにも見える。一体何の場面なのだろうか、と鑑賞者は想像する。ニューヨークのWAHCセンターの展示では、やはり多数の人が被った白い布には時計が印刷されていて、それは世界の終末時計なのだ。
     反戦の展覧会で披露された「小さい包」と題された小さい白い袋状のオブジェ。それは同じ大きさで床にたくさん並べられている。同じ大きさであるが一つ一つ手作りで形は異なっている。作者によるとそれは一人ひとりの脳なのだ、という。脳を包む袋、とは髑髏ということか。それはまた、カンボジアのキリングフィールドのような惨劇のようでもある。いずれにしても須部さんの作品は極めてショッキングであり現代美術的といえる。
     2010年に当館で展覧会を開いた伊藤さんのその時のテーマは潰された空き缶だった。非常事態という災害画を長年、描かれてきたクライシスペインターの第一人者、伊藤さんの今回の展覧会のテーマは東北大震災3.11。津波により多くの破壊された車が墓標のように並べられている。あるものは原形をとどめず、アンフォルメルの抽象絵画のようであり、あるものはダリが描いた空想の絵画世界、シュールリアリズムのように車がねじれて歪んでいた。空き缶という金属が車に入れ替わった。かつての姿の面影もない破壊され遺棄されたという点は同じ。
     そして一方、今回、これだけの作品に回りを囲まれると、あたかも自分がその現場にいるような錯覚を覚える。展覧会の意味は単に絵を見ることではない。複数の絵が並べられた空間により「環境」が生まれ、それを体感するために展覧会がある。
     私は個人的に何度も東北の被災地に足を運んだ。私が最初に行ったのはその夏だったが、多くの建築の残骸が処分されずに残っていた。その地でこの絵画のように多くの破壊された車を目撃した。潰された車の中には避難途中の人たちもいたに違いない。海水に浸かったバッテリーは水が引くと自然発火し海面が燃え出した。津波に飲まれた町には火災の跡がずいぶんあった。そもそも人々は勝手に家を建てたわけではない。マスメディアはいわないが、きれいに流された大槌町の港に作られた新市街区は大槌町が開発分譲した町だった。そして安全を担保する建築基準法の確認申請を下ろすことにより居住安全のお墨付きを出し、さらに毎年、固定資産税、都市計画税を徴収していた。死者を悼むだけでなく、悲劇を防ぐ方策が必要だ。しかし日本人は心理的に死者を穢れたものとし悲劇を早く忘れようとする。そして町はきれいになり、被災者は忘れ去られ悲劇はなかったことにされる。
     鴨長明の「方丈記」は平安時代の末期に書かれた。当時京都では、地震・飢饉(ききん)・日照り・洪水が相ついで多くの死者を出した。「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。 よどみに浮かぶうたかたは、 かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。」町は復興しても元の人はそこにいない。鴨長明は、まさにそのことを記した。この絵が残り、生かされることが必要だ。

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  •    二人展 須部佐知子「陰影のかたち」・伊藤英治「災害の記憶」

       「二人展開催について」                     伊藤 英治
     
     この度、須部佐知子とわたし、伊藤英治の「二人展」を開きます。宇フォーラム美術館館長夫妻の勧めにより実現しましたが、70歳後半の齢であり、二人展としては最初で最後と考えます。二人は故郷が同じで同世代、若くから絵を志したという共通点があるものの作風、経歴が異なります。二人の活動を回顧する作品展示にしたいと考え実現しました。
     須部佐知子は作家として多彩な経歴の持ち主です。浜松、名古屋、東京、埼玉、と活動拠点を移し、外遊5回、NYには3カ月滞在、現地で作品制作発表の実績もあります、独自に作家修行の道を歩み、美術文化協会、ジャックの会、CAF・・・など遍歴して今日に至っています。埼玉近代美術館企画展「今日の白と黒」展の綿を使った展示は世界のコンテンポラリーアートに組み込まれたインスタレーション作品としての実績となりました。インスタレーション経験が多く作品が一部を除き殆んど残っていないので、写真によるパネルで展示しました。綿、石膏、布、水、蝋、鉄、電球、岩石、ロープ等の多様な素材が使われました。近年は平面作品が多く、「陰影のかたち」シリーズ中心の展示となります。経歴に示した通り個展も多く、グループ展、野外美術展の実績も多くあります。
  •   須部佐知子 略歴
     1938年 静岡県浜松市生まれ
     1956年 浜松市立高校卒
     1994年 放送大学卒

  •  ・個展 岩島画廊(‘65、荻窪)、楡の木画廊(‘75~’83)、檪画廊(‘69)、埼玉県立近代美術館(‘83、’84埼玉芸術の祭典集団個展)、田村画廊(‘87)、ギャラリー緑隣館、十一月画廊(平面について‘10、陰影のかたち’14)、アートギャラリーこはく(‘13、Cantabile1展)、府中市美術館

  •  ・団体展・グループ展 浜松美術文化集団個展、(浜松市立美術館)、美術文化協会展(’58~’79、東京都美術館)、「WATAについて」ブラックアンドホワイトアットトゥデイ(‘86、埼玉県立近代美術館)、彫刻とデッサン展(‘86、’87上尾市民ギャラリー)、「ちいさな包」CAF(‘89~’00埼玉近代美術館)、アートセンター(‘91~’01)、「レディメイドのソフト」親密の距離展(‘96、上尾市民ギャラリー)、現代アーチストセンター展(‘96、東京都美術館)、CLOTH-墨染(‘00、埼玉県立近代美術館)、グループエレメント(‘00、’01)、「CLOTH-護られるべきものたちへ」2001アイスランドジャパンコンテンポラリーアートエキジビション(‘01、O美術館)、「CLOTH-護られるべきものたちへ」アーチストセンター展(‘01東京都美術館)、空間の軋轢展、神奈川県民ホール)、Peace & Harmony展(‘02、Williamsburg Art & Historical Center NewYork)、反核・反戦展(‘09’~12、丸木美術館)、「小さな包み」ノーウォー・横浜展(‘04~’07横浜県民ホール)、「小さな包み」CAF・N展(‘00~’07、埼玉県立近代美術館)、府中市美術館、ing Now(‘14、浦和美術館)、アートフェスタ2016(‘16、宇フォーラム美術館、国立)

  •  ・野外展 「水際をWATAで覆うパフォーマンス」(‘81、高麗川)、「トポス」名栗村野外展(‘81埼玉)、現代美術の祭典野外彫刻展(‘87、北浦和公園)、電機大学校庭、「トポス’90」、「竹林のトポス」(‘92三芳町武田家竹林)、国際野外の表現展比企(‘02~’04、比企丘陵)、「持ってしまった哀しみ」(小学校校庭)

  •  ・所属 日本美術家連盟準会員

     伊藤英治は2010年に本美術館で「非常事態」として2001年9月11日の事件をきっかけに制作した災害の作品、中越地震、阪神淡路大震災、またポンペイなどを加えた内容の個展を致しました。二回目の今回は「災害の記憶」とし2011年3月11日東日本大震災作品の大作、全国公募団体新構造社に出品した現地取材の連作を中心に展示しました。忘れまい!の精神でした。しかしそろそろ限界も感じています。20代で抽象画を目指し、銀座で個展(1962年)を行いました。が、生活もあって中断。再開は40代半ばで、作風は描写絵画でした。時の体験(9.11)から災害画ばかりを続けてきましたが「二人展」を機に、更なるテーマにも模索し、初期の抽象系作品への再挑戦も志向しているところです。

      伊藤英治 略歴
     1938年  静岡県浜松市生まれ 
     1956年  県立浜松西高校卒
     1961年   武蔵野美術学校中退

  •  ・個展 村松画廊(’62、銀座)、岩島画廊(’95、荻窪)、花梨(’99、’00、京橋)、あっぷるはうす(0’1、埼     玉)、アトリエTK(‘02、 ‘03、銀座)、ギャラリー風画(‘09~’ 14、埼玉)、宇フォーラム美術館(’     10、国立)、ギャラリーラルゴ(‘16、埼玉)

  •  ・団体展・グループ展 新構造展(‘83~’17、都美術館)、日本油彩創作家協会展(‘99~’15、隔年、銀座)      、緑芽会展(’85~’17練馬区美術館)、レクイエム展・アートフェスタ2016(‘16、宇フォーラム     美術館、国立)、個の吃烈展(’17、ギャラリー暁、銀座)

  •  ・所属 一般社団法人新構造社委員、日本美術家連盟会員、日本油彩創作家協会会員、上尾市美術家協     会会員

  • 二人展
  • 須部 佐和子「回顧展」
  • 伊 藤 英 治「東日本大震災レクイエム」
  • 2017/7 月13日(木)~7月30日(日)






















 
























































































須部 佐和子 (回顧展)

伊 藤 英 治 (東日本大震災レクイエム)

「3.11メモリー」162×260cm

「樹木の陰影」320×192cm

「クロス守られるものたちへ Cloth for people who must be patoronized」  布、石膏、墨、樹脂塗料2001年     (01’アーチストセンター展
東京都美術館

「wataについて  on cotton」1986年            (Black and white in art today)埼玉近代美術館

「持ってしまった哀しみ」    (小学校校庭)

エレメント・ニューヨーク展   (‘02、WAHC Center NYアメリカ)

「wataについて  on cotton」  埼玉県立近代美術館      (’84埼玉芸術の祭典集団個展)

「竹林のトポス」
ガーゼ、真綿、1992年
武田家竹林

「名栗村野外展」ロープ 絹糸、鉄、水    1981年名栗村埼玉

「小さな袋」

「クロス墨染 Cloth sumizome」  布、石膏、墨、樹脂塗料       2000年、(2000コンテンポラリーアートフェスティバル)
埼玉県立近代美術館

「「花よりⅠ」162×162cm

「波打ち際の泥袋」130×130cm

「「花よりⅡ」162×162cm

「会話を楽しむ」105×141cm

「黄色のかたち左Ⅱ、右Ⅰ」135×98cm

「災害の記憶」130×162cm

「災害の記憶」130×162cm

「被災地にて」97×260cm

「事の次第」130×162cm

パネル展示

「被災地にて」162×260cm

会 場 の 様 子

※ 展覧会の様子がパノラマでご覧になれます