ARTFESTA 2017の記録

     ARTFESTA 2017

                        9月17(日)~24日(日)  

                      24日 16:00~ クロージングパーティー開催

 美術はアカデミックなものでも学問でもない。言葉はいらない。美とともに生きよ、というのが岡倉天心。宇フォーラムは美の王国。
 美はそれぞれの個人の頭の中にあり、外に出たがっている。それがエクスプレス、表現、さらには抽象表現。美はビューティフル、
 Life is beautifulは素晴らしいという意味。美とともに生きるのが美の王国の住人。アートフェスタは美の王国の住人の展覧会。

参加者

青山 穆、雨倉 充、飯島 浩、池田 緑、伊藤 英治、伊藤 滋雄、小幡 海知生、加藤 あみな、木藤 恭二郎、木藤 恭子熊倉 伸代、酒井 裕美子、塩見 京子、瑞慶覧 かおり、須部 佐知子、高橋 将行、高橋 真理、出店 久夫、中ぞの 蝶子中里 紫泉、原田 丕、原田 光代、播磨 洋祐、長谷川 博、平松 輝子、平松 朝彦、宙子、望月 厚介、矢崎 治彦   (アイウエオ順、敬称略)


詩 八覚 正大

音楽 成田 千絵、ダンス: 伊東 歌織

 新鮮な感覚、思いあまって75本すべて触って触感を確かめてみた。使ってもみたい……すると映像が机上に設置され、若い女性が実際に食しているではないか、なるほど。我々は結果のみの道具を当たり前に用いているに過ぎないのだ、道具の長い歴史の堆積の上のIT社会の最先端で、浮かび翻弄されている泡のような我々か。このプロセスの感覚を取り入れた生活の試行錯誤的行為は、かえってある種の優雅さを齎すかもしれない。我々が道具を見出し関わってきた来歴に一筋の振り返りの道を繋げて見せてくれた気がするのだ。

 「朱雀」「whisper」(中ぞの蝶子) 見事な和紙の紙細工である。前者の赤と後者の青の対比が鮮烈。前回はたしか光を当てていた……。青の画面の方は床から斜めに置かれ、日本画の箔を貼ったような中に、鮮烈なだんだん畑模様が光る。日常で観るあらゆる物に興味をもち触発されるとのこと。確かな技法とそれが発想に結び付き、雅な世界を現出させている。青龍、白虎、玄武、それに麒麟が、これから立ち現われるのが楽しみ。

 「空」(青山穆) ある境地を感じさせられる作品。左は墨の塗りつぶされた●、右はそれを真っ二つにした断面、と言ってしまえば味気ないが。特に右の作品には惹かれた。理屈ではない。とにかく●の中を貫く線が走る。左右は微妙に異なるが、異なっていて対等という安心親しみが感じられる。作者の心境を綴られた文が添えられていたが、ここまで登られたのかと目の前に仰ぎ見る感がある。「今日、明日の糧がなければ命ながらえないように、今の作画を誘発する深層の心理をのぞき見することが欠かせない」と。そして日々、多福寺へ写生に向かうのである。

 「数の行進」「夜のさなぎ」(矢崎治彦)二階奥の第二室の角、昨年エッケンドニ村の人々で、この場を埋め尽くした作者(五十作くらいだったか)。総勢五百人近くが作者の脳中に住んでいるとのこと。今回は、打って変わり二作のみ。ただ前者はアラビア数字そのものが不思議にデフォルメされていて、作者ならではの対象への触り方は面白い。後者は以前から描かれていた中世エッケンドニ?的な感覚だが、濃密に詰った矢崎ワールドが展開されている。そして既にこれを書きつつ、筆者の手元にある。

 「3.11メモリー」(伊藤英治) 須部さんとの二人展は、見ごたえがあった。ただこうして一点だけで観るとまた少し違った趣も感じられる。壊れひしゃげた車をよく此処まで凝視し、醜さの追求ではなく、物の変形の極限に立ち合おうとする、意匠。一見饒舌な画面の背後に、語っても語り尽くせない、存在への関わりの〈哀しみ〉のようなものがなぜか感じられる。

 「もう、この美術館とも、館長とも付き合いが長くなりつつある。そんな中で、今回は何かじっくりと腰を据えて拝見させて頂いた感がある。フランスの哲学者メルロ・ポンティの言葉を借りれば、〈住み込んで(habiter)〉各作者の思いを込めた作品群と対峙できた感がある。別に徒弟ではないが(笑)。

(一つ頂いた芭蕉は、小生の本宅の狭い庭で、他の木々を圧して住み込んでしまっているが)。それにしても、国立のこのような場で、アートフェスタという形で、名も無く清く美しく一期一会の〈いまここ〉を過ごせたことは、何とも言えない快さを感じさせる。エンディングのパーティーも、本当に楽しくギャラリートークがなされ、また会食会ではアトラクション(成田千絵さんのチェロの響きと声、伊東歌織さんのパフォーマンス)が場を盛り上げてくださった。お二人に拍手、エールを送りたい。
翌朝、己の作品を片付けに行った時、宴の跡には館長、奥様の二人だけの姿があった。
まさに、誰によってこのような表現の場を与えられていたのか、それを〈知った〉瞬間だった。ごくろうさまでした。   

 
 秋の夜の 雨染む道の 光かな(八)

    皆様に感謝     宇フォーラム美術館 館長 平松 朝彦


 作品は描いた人を表す、というものの、よくこれだけの個性が集まった、と感慨深い。皆さんの一作一作には努力の跡がある。アーチストトークではその貴重なお話を聞くことができた。ノートも取ったのだが改めてここに記すと誌面がなくなるので残念だが記憶にとどめ省かせていただく。その代わりに一部の写真を掲載したい。ねぎらいの意味のクロージングパーティーなる宴で皆さんの前で披露した成田千絵さんのチェロと伊東歌織さんの舞いは素晴らしかった。芸術の秋。芸術は食するもの。まさに満腹でした。

 「森の風」「時の交差」(原田光代) オレンジ、緑(青)、白に黒が掛けられたりする画面である。ある時、個展でまとまった作品群を見せて頂いてから、日常の時間の経過をかくも色彩によって表現し続けている作者の、時の空気を捉える感性に気付かされ
るものを感じだした。今回の作品二点もその仲間たちだ。

 「ゆめのつづき」「まあいⅠ」「まあいⅡ」(木藤恭子) コラグラフと呼ばれる手法で作られている。
版画のようであって、作品は一点ずつ。淡い感覚のタイトルだが、今回ゆめのつづきの色の
配置に、感覚の良さが伝わってくる。

 「エトリア」「巡」「遠い昔」(木藤恭二郎) 赤い土を用いた建築のイタリアの町。追求されてきた己の過去の黒の画面、そして鎌倉の材木市場の海岸で、沈んだ古の朝鮮の船から流れ出た陶磁器の破片、それを拾い裏返した瞬間の絵柄の輝き――その感覚を込めた「遠い昔」。己の作品が、二十年後、三十年後、子どもから〈これが父親だった〉と言われればよいと、その言や好し。

 「山紫水明」(中里紫泉) 今回は、やや大人しめな枯
淡な感じの掛け軸。山肌と稜線が、すっと描かれている……それが実は、筆、刷毛ではなく、
ダンボールの底板の少しギザギザした部分を用いて描いたのこと。技法の斬新さに驚く。

 「I was born」(池田緑)I was born と印字されたテープがたくさん貼られ、全体としては、脊髄の一部、あるいは縦に圧縮された樹木の幹のようにも見える。時代によって出生率が違った、その表現か? と誰かが話していた。小生は列車の出発時刻の本数表示も連想。それにしても久しぶりに、己は生まれさせられた、受け身として……を思い出した。

 「かさなり月」「秋月の静かにのぼる光みち」(宙子) 横波は月の光、月と天の川、雨の筋、そして草原、筆で書かれた俳句と、全体としては大きな作品となっている。二紀和太留、平松輝子作品の断片を感じさせつつ、この季節の光の道が天へ向かっているような。作者も宙(みち)子さんとお読みするとのこと。宇フォーラムにはぴったりの名前。

 「表相」(望月厚介) 今回は、手の甲を撮り、それを拡大し作品にされたとのこと。積層シリーズとともに、表相シリーズもまた見ごたえがある。明確な思想を持ちつつ、それを己の身体の皮膚という、時を流れゆく命の表相を用いて、具体的かつ現実的に表現して行く所に、この作者の本物性を感じる。

 「エレーナ」(塩見京子) 毎回、華のある、あるいは凛とした女性像をスッと見せていただいている。黄色の背景、青のドレス、そして肩から胸、腕の肌色に力が漲っているエレーナ。踊って下さい。

 「おとぎ話」(高橋将行) それぞれ個性を感じさせる(挿し絵)画が五点、それに一つひとつおとぎ話が付けられている。ちょっとシュールで、ユーモアとアイロニーの詩的な感覚も。次回は活字を大きくして頂けるとのことなので、高齢青年鑑賞者たちにも可。後で写メで見直したら、一番大きな青に黄の物体の描かれた絵も「顔」に見えることに気付いた。

 「マコンデ地蔵」(他マコンデ群像)(八覚正大)十五、六年の間に集まってしまった東アフリカタンザニアのマコンデモダンアート群。十キロはある人体が絡んだような抽象彫刻をマコンデ地蔵と名付け、鑑賞者に、磨き、持ち上げ、抱いてもらった。撮影禁止・お手を触れないで――とは対極の〈いまここ〉での立体芸術鑑賞の原点を提示した積もり。
これは何?と考えると脳トレにも。詩を三作と、解説も付けている。

 「おしゃれな仲間たちⅠ」(「おしゃれな仲間たちⅡ」(小幡海知生) デザイン感覚の楽しいさかなたちである。今回そこに、横長の画面を六枚重ねた工夫が試みられている。作者もこの世界でいっしょに泳いでいるのでは、小幡水族館。

 「邂逅」「やっと出逢えた」「束の間の眠り」(雨倉 充) 前二作は小品、それぞれに安らぎの雰囲気が出ている。「束の間の眠り」は中でも大きく、頭部の形、首を包む枕のような物体、頭部の前に拡がる青の空間など、深い安らぎと、ここまで到達した人生への労いと、これからまた目を開けば進んで行ける可能性を、
静謐に瑞々しく描いている。今回のアートフェスタでも屈指の作品と感じられる。目を凝らすと、三枚羽が幾つか青の中に見える。いったいなんだろう、それが旋回する微かなモーターの痕跡のように。シンプルな空間は作者の到達したひとつの境地を、静かに謳っている。

 「untitle」(熊倉伸代) 今回は灰色の画面から、目の様な円形が出現して来た。それが増え、やがて連結されたそれらの画面もある。精神と肉体の狭間のある種苦痛から生まれてきたような形には、結果としての存在の〈たしかさ〉が感じられる。左端に自画像があり、それはアウンサン・スーチーに似ていると、小生を含めた何人かの方の共通見解になった。

 「黄色のかたち1」(須部佐知子) 黄色が画面を覆っている。離れてみると、それは黄色い花、たとえば月見草のようにも見える。背景は黒、その中に茶や紫も加えて、作者独特のまなざしの感覚を生ませている。

 「SEPT」(伊藤滋雄) 左から、青年の鋭い眼光のデッサン的な作品、女性のヌードの油彩、そしてクレヨンで描かれた顔。どれもある種の迫力が感じられる。ひょっとすると、それぞれに投影された作者の心の自画像なのかもしれない。

 では、二階に上ろう。中二階にはラウンジがあり、今回も何度も歓談した。
そして、宇フォーラム美術館について、また現代美術史の流れの再考の図など、階段途中の壁にはいろいろ工夫された館長の解説が貼られている。

 「横たわる」「はずかしがり屋の潤くん」「ひそひそ相談中」(加藤あみな) 愛らしい写真三点である。どれも植物の葉を写している。一葉の姿態、紅葉した葉、そして建物の下で群れ集まる葉、低い目線で温かく掬い取った優しさが感じられ、タイトルにもユーモア、ウィットが効いている。さらにいろんな葉の姿を観たいと思われる。

 「双曲」「クロス」(出店久夫) 今回初出品だが、長年のキャリアと実績をもつ芸術家。前者はシンメトリーな空間に非対称な人物などが配置される。後者は十字に区分された四画面に、少年の裸形が置かれている、少し耽美的な写真を元に構成された作品。「忘却と記憶」「宙と地の間」と題されたそれぞれの作品展のパンフレットを頂いた。ボスまで連想させる、緻密でかつ構成的な画面には美への取り組みの長い道筋を垣間見せられるよう。フォトコラージュによるシュルナチュレル絵画として、木村重信から評価されている。

 「幻影」(飯島浩) 光の中の自転車の走行を写した二作。さりげない日常の中から、高度なテクニックと技法によって、不思議な感覚を呼び起こす作品である。鑑賞する側に意識の断層、覚醒感を呼び起こさせる……大昔に見た「去年マリエンバードで」という映画を思い出した。

 「マンダラ画」(平松輝子、高橋真理) 館長のご母堂と妹さんの半ば共作、そして競作とも言える。形は既にできているマンダラに色彩を塗ったもの。初めは健康のためと付き添われた妹さんも、お母様の迫力と色彩に触発され、ご自分も描いてしまったと。さらにギャラリートークの時は、館長の奥さまもそれらを暖かく見守る中で気付かれたエピソードを披露して頂いた。
やはり、平松輝子の赤の支配的色彩は訴えてくる迫力がある。とともに、妹さんの方はどこか青いトーンでの対比があり、それは父君二紀和太留の幾何学的な線面の鎮魂作品に通じるものを感じさせて頂いた。

 「餌食」「出土する声」(長谷川博) 前者は窓の外で蜘蛛が獲物を捉え糸で巻いていった過程を克明に見詰めた作品、目の中で拡大されたある種の怖さが、暗い背景とともに感じさせられる。後者は現在ずっと関わられている一連の作品の中から。前回お話をお聞きして、その制作過程を話して頂いたが、下の面の層が透けて見え、最後に残ったのがその中から出現した白い狭間であることを思いつつ眺めると、やはり深いものを追求するスタンスが良く伝わってくる。

 「ほのか0歳」「ほのか1歳」「ほのか2歳」(瑞慶覧かおり) フレスコ画家の作者。今回は淡い水彩で、お嬢さんの成長を微笑ましく三作出品している。実際には0歳の作品が中央にある。目のキャッチライトに熟練の技を垣間見せる作品。

 「永劫の月と太陽」「焚書」(平松朝彦) 前者は、館長の父君二紀和太留の作品、その前にレイテ湾に沈んだ英霊たちの御魂に喩えた無数の小鉄球が置かれている。
上部には八覚が同じ二紀の「永遠の月と海」に触発されて書かせてもらった詩が組み込まれている。
後者は、焚書に対する思いと、過去の事実が隠蔽歪曲されたことへの怒りが、五十冊近い書物(平松氏は全て読んだとのこと)のインスタレーションとともに文で紹介されている。

 「14作品群」(酒井恵美子) 一階のその場所で、14の版画作品が纏まって置かれている。「森をゆけば」「岩の上の僧院」「ポントルモの食卓」「市のたつ日」「時計塔」「山の家」「奏楽」「花の壺」「夕ぐれ、鐘の音」「海の歌」「琥珀」「ラビリンス」「舟祭り」「花束」 一つひとつの作品を取り上げる余裕がこの文ではないが、それぞれに味わいのある世界が展開されている。
作品も良いが、それを縁取る額がまた工夫されていて、
作品に相性良く寄り添い抱擁している感がある。

 「大荷田」(原田丕) タイトルが無かったので、昨年のものを模して付けさせてもらった。
あわい花びらのような点と奥の灰色の風景の小品三作。しかし、作者は宇フォーラムでかつて大作の展示をされていた。その背景もお聞きし、同時に立川たましんギャラリーでも現在大作展をやられているのを拝見対話してきたばかりなので、
そこに秘められ描き込まれた〈時の堆積〉が見えてくる。

 「限界のデザイン」(播磨 洋祐) 白いナイフ、白いスプーン、白いフォーク(カトラリーと総称される食卓用具)の三つがセットなり、5×5=25セット、計75本が置かれている。なんだろう……その材質が親和的で触れてみたくなる。解説を読むと触れていいと、そこで一つひとつ触り始める。おやおや、曲がったスプーン、拡がって6本に割れたフォーク、柄の短い刃が大きなナイフ……、我々が用いる完成されたデザインの、それに到るまでの様々な意匠のプロセスが展開されているのだ。

   「展覧会を振り返って」             八覚 正大
 

 今年もまた恒例の会員展アートフェスタ2017が開催された。富士山の白い輪郭と白い朝日が、青い丸の中に描かれたシンプルな図案のDM。9月17日から24日までこの館には珍しく休刊日なしの展覧会。何度も通ったが、その度に庭の大きな松の樹と、その向こうには夏の間にここまで伸び広がった芭蕉が迎えてくれる気がした。














  

 




 

















































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































原田 丕 「大荷田」

飯島 浩 「幻影」

高橋 真理 「マンダラ画」

高橋 将行 「おとぎ話」

八覚 正大 「マコンデ地蔵」

池田 緑 「I was born」

宙子 中里 紫泉「山紫水明」

木藤 恭子「ゆめのつづき(コラグラフ)」
    「まあいⅠ(コラグラフ)」「まあいⅡ(コラグラフ)」

伊藤 英治「3.11メモリー」

木藤 恭二郎「エトリア」「巡」「遠い昔」

伊東 歌織、「ダンス」
成田 千絵、「チェロ」

原田 光代 「森の風」「時の交差」

矢崎 治彦 「夜のさなぎ」「数の行進」

青山 穆「空」

宙子 「かさなり月」
   「秋月の静かにのぼる光みち」

望月 厚介 「表相」

塩見 京子「エレーナ」

中ぞの 蝶子 「朱雀」
       「whisper」

小幡 海知生「おしゃれな仲間たち」シリーズ」

雨倉 充「邂逅」「やっと出逢えた」「束の間の眠り」

熊倉 伸代「untitle」

須部 佐知子 「黄色のかたち1」

伊藤 滋雄 「SEPT」

加藤 あみな「恥ずかしがり屋の潤くん」

出店 久夫 「双曲」「クロス」

平松 輝子「マンダラ画」

長谷川 博 「出土する声、餌食」

瑞慶覧 かおり「ほのか0歳」「ほのか1歳」ほのか2歳」

平松 朝彦「焚書」

酒井 恵美子「14版画」

播磨 洋祐 「限界のデザイン」