ーMELTING & COAGULATIONー 溶融と凝縮 展
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- 望月厚介・渡辺一宏 展に ー溶融と凝固ー
八覚 正大
昨年、三鷹のギャラリー「由芽」で見たこの二人の個展が、今回宇フォーラム美術館という拡張された空間の中に隣り合って再登場した。DMには上部に望月氏の鮮烈な赤の作品、下部に渡辺氏のモニュメンタルな作品が配置され紹介されていた。
美術館二階の第一室は渡辺氏の彫刻作品群、奥の第二室に望月氏のシルクスクリーン画面が並ぶ。評はその順に書いてみたい。
前者の渡辺氏の大理石の作品群は、水形、風形、拮抗など「由芽」で見た時の印象をあまり変えてはいない。それらは大理石という重い石から、力と根気によって掘り出された意匠の形と感じられる。両腕に抱えられる程の大きさ。ある種モニュメンタルで秩序のある、健康的な作品群として立ち現われている気がする。
今回、moveという作品が、その中に有って感覚的面白さを感じさせた。横長の一見バゲットのような形のもの、そしてもう一つ、言葉では形容しにくい塊(テトラポットを丸めたような?)、それらには糸で巻き縛ったような跡がある。それは外から巻かれたものではなく石を削っていく過程の中で作られた線条痕なのだ。まずそこに、作者の意図らしきものが伺える。さらに布のような五つの断片が、這い進むような仕草で置かれている。その瓢瓢とした感覚(もちろん大理石でできているが)、それは細長い作品と塊との間を動く、何か気のような、あるいは父と母から生まれ出た五人の子どものような、あるいは流れのような、ちょっと「変な」感覚をもたらしている。それが前出のモニュメンタル群とは、異質な作者の新たな展開を感じさせるのだ。
異質といえば、後三つ。「波形」とタイトルの付けられた作品は、その線条痕が全体を覆っている。数十センチの大きさと思われるが、ミイラのようで折れまがっている。それから「捩れⅠ」「捩れⅡ」という作品。太いパイプあるいは血管の途中に異物ができ、そこから捩れた感触だ。前者の断面は楕円、後者は円。
これらを見ると、作者が自然現象や物体の有機性を、素材としては正反対の硬質で重い石を用いることによりいかに表現するか、その遥かな制作過程にストイックとも言える楽しみを見いだしてしまった、その軌跡といえる気がする。
一方、後者の望月氏の作品群は、宇フォーラムでも馴染みのあるものであり、「由芽」ではそのストイックな積層を熔融させて、いよいよ作者がその姿を現し思いを弾けさせ出したと感じられた。今回は、それがさらに大きく広がり、パワー全開に近いものを感じた。宇フォーラムの第二室、そこは筆者にとっても出遭いの部屋である。かつてその奥の壁に二紀和太留の「荘厳」という〈人間の憧れと鎮魂の〉極致とも言うべき、幾何学的に完成され尽くした傑作を見て、しばらく動けなかった場なのだ。
さて、入口から左回りに見て行こう。作者は「……以前からシルクスクリーンのベタ版にすること、積層作品の意味、行為をずっと考えてきた」という。色は赤青黄の三原色。……そこに「シルクスクリーン溶剤を使って、その層を破壊、或いは溶融する。一見フラットに見えるパネルの表層に、実は微妙な凹凸がある。その素材のもっている形状を引きだし、内に隠されている形を引き出す」ことに興味思いがあるのだ。
「溶融―相変化」と題された作品群。ざっと見て行く。まずRG40黄に緑が濃い作品。次にBR40中に大胆な黒い棒状のものが現れる。BR340三枚パネルの赤が支配的なインパクトのある作品。YB40これも強い赤に上部から黒が入ってきている。そして今回奥の壁を印象深く彩る二つの作品は、共にパネルを四枚繋げてある。右方は黄色に力強い緑がうねっている。見ごたえがある。そしてBY440、今回私がもっとも惹かれた四枚パネルの作品だ。紫に近い地に黄色の生命体が大きく出現したように見えるものだ。作者はその繋ぎ目に工夫を凝らしつながったように(偶然?)に見せたのだ。この第二室の奥に飾られたその作品こそ、今まで積層に精魂込め、そして沈めに沈めてきた作者の渾身の翔きのように感じられたのだ。
それを越えて、最後の壁にはBR40この作品の赤は、翻って私が見た作者の作品の中でも最も美しいものになっている。DMの上部はこの作品の一部を横にして用いていたのだ。
勝手に物語化するあそびを許してもらえれば、沈みゆくアフリカの大草原の巨大な陽の玉の前で、緑色のアンテロープ(カモシカの一種)が勇ましくシルエットを見せていると。ラストYR40はまた赤い地の中に緑の形が見える。
翻って全体を俯瞰すると、積層を溶融させた赤の鮮烈な画面群に熱せられ押し出されて、奥の壁面に四枚パネルの作品が並立し、特に紫の地に黄色の命が大きく開花飛翔した空間となった――。芸術に人生を賭けてきた作者の開花した世界に触れるのは、また鑑賞側にとっても悦ばしさを禁じえないものである。
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- 宇フォーラム美術館 館長 平松 朝彦
渡辺 作品
渡辺作品は展示会場の搬入作業のこともあり手で運べる小型のサイズである。彫刻の公募審査で模型審査があるが、それに近いサイズなのかもしれない。
今回、彫刻におけるサイズについて考えさせられた。大きければたしかに迫力はある。しかし造形的には差はないはずで写真にしてしまえば同じ。
しかし今回これらの作品が大きければと想像するとどうだろう。具体的に言えば「風形」「拮抗」は、これが10倍のサイズなら、どこかの彫刻美術館の代表作品となってもおかしくない。「拮抗」は小さいが力に満ちている。「風形」は五月の鯉のぼりのように風にはためく。見方を変えてこの会場を巨大な展示場のミニチュア版と見たてると、今回の展覧会はすごいことだ。
さらに今回の作品は有機的な曲線で作られている。「捩じれ」のように円柱が柔らかく変形し、風、水、波など固定した形のない作品、それはついに「move」で動き出す。「move」は巻いた布状のものによりその動きが強調される。
一方、個人的にこの造形は私には何か既視感かある。当館のラウンジにコルビュジェの本が二冊ある。建築家の彼の代表作はロンシャン教会だが、あれは建築というより彫刻造形作品。そして彼の描いたキュビズムから発展したピュリズムの絵画は有機的な曲線造形に満ちている。そもそもキュビズムは立体派という日本語のように彫刻造形とつながり、アルプ、ザッキンなど当時の彫刻家のたちも一緒の仲間だった。さらに「move」はダリの不思議な造形を思い出させる。見ていてあきない作品だ。
望月 作品
作者が数年来取り組んできたシルクスクリーン版画である。
まず目を引くのは正面の4枚組のBY -440、RB-440の二つの大作。4枚の組み合わせで変化と迫力が生まれた。
もう一つの特徴は、赤の色だ。BR-340、YB-40など血液を想像させる鮮やかさと、透明感のあるマチエールで、他の色との混合が起きて興味深い。
BB-40は黒い線だが、血管の動脈を想い起こさせる。生体絵画。人体のマクロなクローズアップは私の勝手な想像だが、ある意味でこれも有機的絵画ということか。
今までの作品は原色の色の強さが主題だったようにも思えるが、それはそれで他の日本人作家にない特徴だった。今回はデカルコマニー的な偶発性の手法からさらに一歩前に出た感がある。
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