平松輝子 ジパング再興 の記録

  平 松 輝 子 ジパング再興 
 金銀の宇宙と花鳥風月の琳派展 

2021/2月11日(木)~ 2月21日(日)

平松輝子「芙蓉」部分

宗達「芙蓉」部分

宗達伊年 印「四季草花屏風」各135×51

平松輝子「うるわしの大和のくに」1800×3600

平松輝子「春風松図」160×440

「銀河」墨 銀紙 103×180

「銀河」銀紙、ダイヤモンドの粉80×110 動画でないとわからないがキラキラ輝き、虹色が見える。

「銀河」赤銅色メタル紙 110×480

「銀の月」虹色が見える。

「銀河星雲」墨 銀紙 80×110

「銀河星雲」墨 銀紙 80×110

抱一「白梅図」部分38×7.5

 

「雪山銀世界」アルミシート 110×320

「杉林残月時鳥之図」110×45

「黒い太陽」銀紙、銀紙 80×110

平松輝子「無題」110×160

平松輝子 「銀河」
墨 銀紙 80×110

平松輝子 「花」
アクリル 和紙 44×44

平松輝子 「銀河」
墨 金紙 220×80

・金 銀 の 世 界

平松輝子「蝶」アクリル

平松輝子「蝶」アクリル

「断面・線 (部分)」

平松輝子「トンボ」写生

岡本秋暉「草花屏風」91×132

光琳「芙蓉図」42×38

※ 展覧会の様子がパノラマでご覧になれます























 

 

 

 

空気のない宇宙空間は真っ暗で太陽を含め星が輝いているだけ。さらに地球が点になった時、360度の空には輝く満天の星。銀河も見られる。時にダイヤモンドの粉が使われ、角度によってキラキラと輝く。また虹色のものもあり角度によって色が変わる。それらは写真ではなく動画でないとわからない。
宇宙飛行士は皆、宇宙空間から地球の姿を見て感激するという。そして芸術家に見せて作品を作ってほしいと思うのだそうだ。 (「宇宙から帰って

 

今回の宇宙作品はまるで宇宙に行って描いたかのようだ。そんな体験をした人がこうした絵を描くのではないだろうか。逆に体験をしていない人がこんな絵が描けるのか。
彼女は人間の顔も姿もほとんど描かなかった。社会と隔絶していたわけではない。単に描きたいと思わなかったのだろう。
宇宙に行くことは世俗から離れることを意味する。宇宙であれば自由だ。完全自由になるために最後に宇宙に行く。
宇フォーラム美術館の名前の宇宙。それは完全自由を意味した。

 

きた日本人」 日本人宇宙飛行士全12人の証言 文藝春秋)   

 

  ・宇宙シリーズ
宇宙旅行をイメージしてほしい。ロケットが轟音と共に発射され、小さな窓からぐんぐんと小さくなる地球を望む。
代表作の「うるわしの大和のくに」。この形は宇宙から見た海岸線の形だ。飛行機から見た海岸線はなぜあのように美しいのか。さらに宇宙から見ると地球は白く発光しているように見えるがそれは空気が太陽の光を受けて光っているから。そして地球が昼間に明るいのは水蒸気を含む空気が光を反射するから。

 

 ・日本独特の花鳥風月

日本はマルコポーロの東方見聞録で黄金の国と紹介されジパングと名付けられそれが、ジャパンの英語の由来となった。
さらに国名としての「日本」の漢字の文字の意味は、太陽そのものだ。太陽は金色、月は銀色と壮大な宇宙をイメージさせる。
仏教美術においても金は多用されたが、それは光を放ち、神さらに天国の存在を想起させた。
そもそも自然と太陽のつながりは一体であり、昼と夜は、太陽の運行そのもので、太陽によってすべての植物、生物は存在でき、さらに春夏秋冬の四季は豊かな日本の自然につながる。
美術でいえば、やまと絵では背景色として金が多用されたが、これは日本の美術の特徴である。
しかし、明治以降こうした大和絵は、急速に衰退してしまう。
水墨画において日本の画家たちは、中国の牧谿を手本とした。
牧谿の作品のすべてが日本にあるといわれるくらい日本で人気が高く、一方中国では人気がなかった。そのため、日本の水墨画は中国と違うスタイルで発達したといえる。
さらにやまと絵と水墨画の中間の着色水墨画が発達し、宗達、光琳ら琳派は植物に垂らしこみ技法を積極的に採用し、花鳥風月の美術を広げた。
1921年生まれの平松輝子は関東大震災にあい、さらに大東亜戦争などのひっ迫した社会情勢のため美術学校には行かずに独学で絵に取り組んだ。
今回展示した20代に描いた4冊の画帳は主に植物の着色写生であるが、トンボ、蝶などの昆虫類なども細密に描かれていた。それは近世美術の画家たちが描いた姿をイメージさせる。
そもそもこうした花鳥風月の絵は江戸時代の生類憐みの令につながる仏教思想である生物への慈愛、さらに野に咲く様々な花々は仏教の輪廻、さらに万物に神が宿るという古神道の自然主義があった。
そしてそうした自然の中で時を過ごすことのできる幸福感が、現代の今において見直されつつある。
そうした幸福感は、金銀の絵の背景にふさわしい。


輝子のアクリル絵画は、究極の色の世界。その後、モノクロの墨となり最後は金銀の世界。そして星空の光と輝きは究極の美。新たな琳派もまた光の世界だった。
それは新たな材料で日本の琳派を革新することとなった。それは結果的に平松輝子の画業の役割のようだ。
坂田一男師いわく「良い画とは見ていて気持ちの良い絵」と。つまり絵を見ているとその人の脳からドーパミンが出されるということ。
そもそも美とは、官能的、感脳的?なエクスタシーの一つなのかもしれない。しかしそれは見ている人の脳に依存することでもある。
当時、彼らの作品は装飾芸術であり日常の生活のためにあった。梅の季節には梅の、桜の季節には桜の掛け軸。やまと絵は金銀で飾られ甘美で濃厚な大人の世界。「色」とは色気の色かもしれない。

平松輝子は1925年のパリで開かれた最初の国際的抽象絵画展「今日の芸術」に東洋人としたただ一人参加した坂田一男に油絵の抽象絵画を習った。しかしそうそうに油絵の具に見切りをつけ、墨、さらにアクリル絵の具という水性絵の具による抽象を手掛ける。
その頃、ゴッホは近世の日本画家たちの描く「葉っぱ一枚」に驚愕し、「いつ自分はこんな葉っぱが描けるようになるのか」と慨嘆した。さらにその後であるがピカソは自ら多くの水墨画を書いたが、日本人のようには描けず「水墨画の日本」を尊敬していた。ゴッホの「ひまわり」は油絵で描かれたが周りの黄色は金色のつもりだったのかもしれない。
ジャポニズムはパリを席巻して印象派を生み出した。しかしその印象派が日本に逆輸入して日本の洋画界を席巻する一方、日本画の大御所たちは岩絵の具を油絵のように使い、さらに水墨系統の画家は筆の技法が衰えていく。さらに金銀色はいつの間にかタブーに。明治時代にアート(芸術)の概念が導入されるとかつての芸術は古い装飾とされ本当のアートが消えた、という皮肉。
   ・琳派再び
琳派の宗達(1570-1643)、光琳(1658-1716)、抱一(1761-1828)。今から大体400年、300年、200年前の作品群ということになる。
我々は学校教育で進化論を学び、無意識のうちに過去の古い物は骨董的、歴史的価値しかないと思いがちだ。さらに本物の日本の古い美術品を見る機会は少ない。
今回これらの展示を見た人達は彼等の美的感覚はこんなに豊かで、技術はすごかったのかと驚いた。1886年渡欧した岡倉天心は西洋画を見てそれらをほとんど評価しなかったのもわかる。
次に岡本秋暉のメダカの目と「えら」。さらにトンボの足。酒井抱一の梅の花弁の中のおしべとめしべ。
かつて印象派はジャポニズムにより生まれた。しかし近くに寄ると何もわからない。日本の絵には虫眼鏡が必要だ。その凄味は写真集ではわからない。
まずは前記の特攻隊の左手にあたった光の反射。これを粗いタッチのデッサンの中で表現した。
次に宗達の杉林残月時鳥之図の目。時鳥とはホトトギスの事。夜の杉林にホトトギスが飛んでいる。飛んでいるスピード感を表すようにパット描かれている、と思ったら大違いなのだ。ホトトギスは二筆で、羽が黒く胸の部分が白いことが表現されている。鳥の目の部分に注目すると、白目の中に黒目が。その大きさは1mm以下できちんと描かれているが、その白目はどうして墨をつけずに白く抜くことが出来たのか。さらに嘴の部分も白い線で抜いてある。
杉の幹のたっぷりとした垂らしこみの木の大胆さが目を引くが一転して杉の細かい葉の部分も影のように丁寧にかかれている。
   ・ミクロの美を愛する日本
美は細部に宿るという。垂らしこみとはまさにミクロの美の趣致を慈しむことであったが、今回さらにミクロに着目したい。
焼き物の曜変天目茶碗はご存じたと思うが、ウィキペディアによると「漆黒の器で内側には星のようにもみえる大小の斑文が散らばり、斑文の周囲は暈状の青や青紫で、角度によって玉虫色に光彩が輝き移動する」とあるがそれと同様に、この「銀の月」では「垂らしこみ」が「暈状の青や青紫で、角度によって玉虫色に光彩が輝く」のだ。
金属的な紙の表面に生じた透明の膜(その液体は明礬と膠の溶液?)が微妙に光の屈折反応を起こしてディテール的にはまるで焼き物の釉(うわぐすり)のように「青や青紫など角度により玉虫色に光彩が輝く」のだ。
いずれにしろメタルカラーの作品は鏡と同じで写真に撮ることが不可能に近い。角度により色、そして形が変わってしまうからだ。さらに印刷するためには特別に金色、銀色を使うしかないから実物を見るしかない。
これは新たな虹色の垂らしこみだ。光を強く当てないと見にくいので今回作品を見ても気づきにくかったかもしれないがメタル紙に透明の塗料が塗られ、その部分が虹色に光る。
同じアクリル樹脂絵の具でも小さな筆でパレットを使ってはできない表現である。さらにアクリル樹脂だから墨と同様にミクロでは油と水の分離が起きたのだろう。
水彩画の混色と違い微妙なテクスチャーが生まれる。それが垂らしこみなのだ。さらに今回の目玉は「銀の月」かもしれない。いくつかのメタルカラーの作品群に虹色が見られる。

まずは水墨画から。今回、展示した宗達の水墨画の掛け軸「杉林残月時鳥之図」。実はこのモチーフはあの牧谿にもあるのだが、その筆力はそれを凌駕している。宗達の水墨画には様々のものがあるがこの掛け軸の杉の幹の表現はアバンギャルドだ。
下地の紙が滲み止めされ、たっぷりとした筆の水分が吸い取られないからスムーズで長い線が生まれる。その線の中は単調ではなく、油と水の分離があり独特の風情が生まれる。
そしてそのひと筆書きがコバルトブルーの青一色で巾30cm位の太い巨大な筆で一筆書きのように描いたのが輝子の「うるわしの大和のくに」だ。おそらくペンキの容器のような中にリキテックスを大量に入れて大きな筆を入れて描かなくてはできない。

  ・垂らしこみ
「垂らしこみ」といっても黒の水墨から今回の宗達の草花図のように淡彩のもの、色彩豊かなもの等、様々の垂らしこみがある。
垂らしこみの始祖といえば宗達で琳派はその継承ともいえる。垂らしこみとは水の表面張力と墨のミクロな水と油の粒子による趣のある偶然性の表現といえよう。

   ・雪山銀世界
銀の下地に白だけで山並みを表す幾何学模様。このデザイン構図は、光琳を思わせる大胆さ。全体に散らばる白は雪なのか。
どうしたらこのような絵が描けるのか、と多くの人から聞かれた。残念ながらわからないのである。

   
    ・金銀の作品
1990年代より、和紙の仕事はすべてやりつくしたのか、金銀の紙に描き始める。
金銀銅様々で全部合わせると50号、一㎡くらいのサイズの紙で450枚位400枚描き、50枚位残った。本当は全部描きたかったのだろう。400枚、400㎡の金銀の紙。
どこで売っているのか知らないが普通の人が買うだけでも常識を外れている。しかも絵を売るわけではない。あふれる泉のように多くのイメージがわき、ただひたすらそれを具体化したかっただけ。
この金銀の絵の発想はどこから来ているのか。7年くらい前にニューヨークのチェルシーに行ったとき、ステンレスに黒で描いた作品を見た。その時そのシャープさから、これが世界の最新のアートなのかと思った。
しかし輝子の表現ははるかに進んでいた。なぜかというと、墨と筆が使えたからだ。かつてやまと絵では普通に金下地だった。
太陽、夜空の銀河、さらに滝の水を表すための銀。さらに雪山の銀世界。金銀のイメージは様々。それは同時にかつてのやまと絵という日本の伝統への回帰なのか。あるいは個人の天才的発想なのだろうか。