津嶋 恭子 雨倉 充 二人展 の記録

   津 嶋 恭 子 ・ 雨 倉  充 二人展


       - それぞれの形象 -

    描く世界は 異なるものの

    それぞれの形象の中に 潜む声なき存在

    叫ぶでもなく ただ静かに そこにある

    描き続けることで それをいつか手元に

    引き寄せることができるのだろうか


2022/3月31日(木)~ 4月17日(日)

「無題」F20

「グレーに終わる」F12

「影」F6

「二人」F6

「無題」F12

「無題」F50

「無題」F50

「無題」F100

「危機」F100

「希求」182×45

「現れた光」F25

「黄色のキャンドル」33×106

模写「天使像」テンペラ 41×32

「祈り」F25

「追想」M80

「帰還」S100

「こたえのない旅」F100

油彩画を描いてきたが、20年程前にギリシャ正教のイコン画に魅かれテンペラ画での模写を学ぶ。
その後、東日本大震災を機にプロペラと人間像を組み合わせた作品を自由美術に出品する。
現在、新型コロナが猛威を振るう中で身近に感じる負のエネルギーをプラスに転じたいと「灯」をテーマにした作品を描く。

                        雨 倉 充

戦後混沌とした時代に、海老原喜之助先生のエコールパリー

の街に憧れ、先生につき油絵を始めました。

60年ほど間があき、独立の江田豊教室で油絵を学び

   空間 見えないキャンバスに向かい

迷い 迷い 自分なりのものを表現した作品です。

                       津嶋 恭子

津 嶋 恭 子 作 品

雨 倉 充 作 品

津 嶋 恭 子 作 品

程波 テノール

「断面・線 (部分)」

※ 展覧会の様子がパノラマでご覧になれます

雨 倉 充 会 場

津 嶋 恭 子 会 場























 

 

 

 

     ・津嶋 恭子 雨倉 充 二人展 
         ーそれぞれの形象ー を観て      詩 人  八覚 正大


今回は本美術館の会員であるお二人の味わいのある展覧会となった。
津嶋さんの画はかつて会員展でも拝見したが、その時、もっと描き出したいものがあるのだけれど、まだまだその域に達していない――そう謙虚におっしゃっていた姿勢が印象に残っている。
今回、抽象の力作が揃っていたが、中でも二階の入って右壁中央に飾られていた「動」という作品は抽象ならではの迫力を感じさせられた。中央を青の面が湧き出るように塗られ鮮烈な力強さを溢れさせている。右側には柵の端のような茶色、左側には木片のような黄色の刷毛跡があり、その間を青く鮮烈な水が、そう…青春の迸りのようにこちらに向かって流れ出てくる……。
それから正面奥の大作、タイトルは「無題」だが、幾分重い感じの青の画面に描き込まれた様々な形象の痕跡が、記憶の様相を想起させるかのよう。その他「吹かれて」は都市の家や建築物の形だろうか……の上を灰色のそして赤いカイトのようなもの飛んでいく……自由を謳うかのように。それからなぜか惹かれたのが「影」と題された作品。その中の黄色の部分が、青・灰色の多い作品群の中で異彩を放つ感があった。さらに小品だが「二人」、紙を丸めたようなオレンジと白の二つの頭部が寄り添い、一方には目が、もう一方には口を連想させる部分が見える気がする……暖かい雰囲気の作品だ。
 作者の言葉に、〈……線 色 形 空間  見えないキャンバスに向かい 迷い 迷い 自分なりのものを表現した作品です〉とあった。謙虚に、しかし情熱を失わず、己の内面の思いを抽象という表現形式に込めて……それは「冒険」への未だ臆さない情熱の発露だと感じる。
 
 一方、雨倉さんは、青い頭部の人間の作品群、そしてロウソクの作品群を交互に並べた工夫をしている。前者はもう六、七年前だろうか、一枚のDMに惹かれて国分寺の司画廊に行き初めて拝見した、その時のインパクトが大きく、何度も足を運びそして詩も書かせて頂いた。
見開かれた目の「危機」、「こたえのない旅」、そして「帰還」(この作品が司画廊でのDMで見たものだ)それらは、深く美しい緑青の流体の中にひっそりと大きな頭部が描かれ、その周りを〈三枚羽〉が旋回している。何より入ってすぐの右壁に配置された「つかのまの眠り」、これこそ雨倉さんの代表作と言っても過言ではない、傑作だと私には思える。これは、たしか作者がこの美術館の会員になった年の会員展で出品されたものではなかったか。頭部の球形の膨らみ、目を瞑り輪型の枕に口を沈め、まさに〈つかの間のやすらぎ〉を得たその心性の普遍が、穏やかに見事に描き出されている。かつて本人に、「見る目のある製薬会社の重役でもいて、睡眠薬をその会社が扱っていたら、この作品は高額で買われロビーに飾られていいぴったりの作品だ!」と思わず口走ったことがあった。半分は冗談だったが、でも半分は今でも本気だ。
彼は最近、ろうそくの作品を手掛けている。「黄色のキャンドル」「キャンドルの広場」「回廊」……「shine a light」などの群れ立つロウソクの作品。それらは主人公を囲んでいたり、数本ずつ集まって家族のようだったり……大小、細い太いあり、何か物語が紡がれていけそうな感じだ。ところで入ってすぐの壁面に、一点イコンの見事な模写もあった。
「油彩を描いてきたが、20年前にギリシャ正教のイコン画に魅せられ……その後、東日本大震災を機にプロペラと人間像を組み合わせた作品を……現在、新型コロナが猛威を振るう中で身近に感じる負のエネルギーをプラスに転じたいと「灯」をテーマにした作品を描く」と。熱心な研究家でもある。

   ・津嶋 恭子 雨倉 充 二人展 について            
                        宇フォーラム美術館 館 長 平松 朝彦

まずは津嶋氏の展示。津島氏の絵はまさしく抽象画。
津嶋氏は、海老原喜之助絵画研究所、江田豊氏に学んだレジェンドといえるベテラン。たしかに一部の作品にはそれらの痕跡が見られる。
戦後まもなく、戦争から解放された日本に前衛ブームが起き、津嶋氏は先端のモダンガールだったのだろう。しかし津嶋氏は結婚され、多忙な主婦業もあり作品制作はできなかったが、最近一段落されて制作を再開し、当館のアートフェスタに積極的に参加された。
私はアートフェスタ展の作品で注目していたのだが、今回多くの作品を見る事が出来た。
津嶋氏は抽象表現主義のデ・クーニングが好きだと聞いた。たしかに「動」の力強さはそうした抽象表現主義かもしれない。しかし色彩の美しさは、シャガールのようでもある。
パリでサロン・ドートンヌを見た経験からいうと、感覚的にフランスの作家よりフランス的であるように感じた。

雨倉氏の今回の作品だが、湾岸戦争、東日本大震災、新型コロナの世界的流行、さらには今回のロシアのウクライナ侵略等、時代の悲劇が絵画から伝わる。
イラクを舞台とした湾岸戦争では、多くの民が犠牲となった。雨倉氏は若かりし時、その地の遺跡を巡っている。
絵についてだが、まず、丸い形をした頭部だけが空中を漂う不思議な絵。青緑の深い色そしてプロペラがあるのはそれが空の上であることを暗示している。穏やかに眠るような、あるいはこちらを凝視する目が印象的な作品である。
東日本大震災では、海を表す青色の画面に形が崩れた顔に涙を浮かべる頭部。それらを見て尾形光琳の燕子花図を連想した。
江戸時代前の絵画は、平面的で焦点や遠近法はなく、さらに必要なものだけ画面に配置した。雨倉氏の作品は、立体的な空間に、必要なものだけ配置して空間に浮いている。
最近はろうそくの光がテーマとなっていた。ろうそくは昔から人の寿命を表現してきた。多く並べられたろうそくはまさに人々の生死を表現している。
今回のロシアによるウクライナ侵略戦争で、急遽、青と黄色のろうそくの作品となった。これらの作品はほとんど「暗喩」であることに気が付く。そして作品の人物の、こちらを見つめるまなざしこそ絵のテーマなのだろう。
西洋的なようで日本的。フランス的な津嶋氏と好対照なのかもしれない。
それぞれの個展でもよかったのだが、お二人は友人であり、二人展となった。