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寄稿 「月光あるいは弔旗」 八覚 正大 - 立ち上げられた
円柱とその断面図
下半分は色彩の筋が縦に走り
上半分の黒い背景の中に
同心円がくっきりと配置される
完璧なまでに幾何学的な絵画
メカニックな装飾デザインとも
夢とも 現実とも その淡い境とも
いずれに組みすることなく
ただ――そこに出現している
中空に浮かぶ十数層の同心円
中心ほど白く輝き
そのまま光の縦線に変換される
月の幾重にも重なる輪郭
それが水面に映り
真直ぐに走って下降する
感情の波はすべて円に収斂し
肉体とその行為とは現実の柵を抜け
何ものにも縛られない相貌を携えて
有限な命を越えた
いまここに顕在する
すでに此の世には居ない作者と
一体化した形と色
けっして振られることのない静謐な旗
命の水際を抜け
礼節の結晶に昇華された
透徹した弔旗
二紀和太留作品に
- 一方、書家の宙子さん。そもそも今年のパリの楽しい個展の報告からこの企画に発展。しかし書のライブパフォーマンス、Ryncoさんとの企画も初めてではないという。Ryncoさんの歌とともに着物を着てのパフォーマンス。残念ながらシャッター音の関係で自粛したのでよい写真は撮れなかった。
後半はやはり参加者参加の書パフォーマンスへ。宙子さんの絵もRyncoさんのスピリチャルな歌詞とつながる。別の部屋には、壁にかかった大作。書は言葉としての意味を持つが抽象絵画でもある。いろいろな新しい試みがされていた。
会場は二紀和太留の「永遠の月と海」シリーズがかけられている。かつて大東亜戦争で海軍だった二紀は、夜の太平洋の戦艦から月を眺めた。その時を思い出して描いた絵だ。その海には今もなお多くの日本の戦艦が沈んだままだ。月は彼らを鎮魂しているに違いない。
単に娯楽としての歌を聴くために集まったのではない。スピリチュアルな歌が歌われ、メッセージにあふれた三者のコラボレーションに人々が共感した。今回は「場」ということを感じさせるイベントとなった。
- Ryncoさんはいわゆるシンガーソングライター。なかでも自作の「FELLING」は名曲。サラ・ブライトマンを彷彿とさせる美声と音量。自身の歌と後半は皆で発声練習と演出、スピリチュアルなお話も人を惹きつける。歌はソロだが、伴奏は事前に録音され、多重録音的な演奏。声は波動そのものだが会場はRyncoさんの波動に包まれた。そもそも今年の平松輝子の展覧会の時に、会場の響きと絵に触発され、即興で歌われたことも今回の機縁となった。(ユーチューブでも流されている。)
- 曲:はじまりとおわりの扉
- 5月6日 (土) 開場 13:00 開演 13:30~15:00 歓談~16:00
参加者による書パフォーマンス
和紙の紙吹雪
パフォーマンスで書かれた書
会 場
会 場
二紀和太留 作
宙子 作 部分
宙子 作
宙子 作
宙子 作
「ひとしずく ひとしずく」
Rynco(歌)+宙子(墨)+二紀和太留(絵)
宙子さん
左:宙子さん 右:Ryncoさん