柳井嗣雄 個展 「 発 掘 」の記録

      

 柳 井 嗣 雄  個 展発 掘

                     

  •       「発 掘」及び「遺 物」
                          宇フォーラム美術館 館長 平 松 朝 彦
  •  今回の展覧会の前室においては平面の作品、奥の部屋では立体の作品が展示された。さらに会場に設置されたモニターでは柳井さんの過去の様々な作品の紹介が行われた。
     モニターでは、作者の全貌が分かりやすくスライドショーで流された。
     飯能の山に住み、楮などの木を育て、皮を剥ぎ、茹でて紙をつくる。そしてそれらを使い様々な造形作品に挑む。飯能の広いアトリエにおいて巨大なインスタレーションにも積極的に取り組んできた。いわゆる和紙の職人的世界を超えたスケールの大きなもので、いままで世界的に活躍し、注目されてきたことがわかる。
     そして今回の柳井さんの作品は、作者の個人的選択による20世紀における20人の平面と立体。まず、平面作品だが、その制作手法が独特である。顔は写真を元にデッサンをするように染色された繊維を撒いて作られる。
     紙漉きの工程と同時に作品が仕上がるファイバードローイングの手法は独自のものでおそらく誰もできない。
     一方、ディテールは写真と違い、朧気でわからなくなる。それはかつて印象派の画家たちが「近づくと何かわからない」と評されたことを想起させる。それは被写体という実像ではなく印象なのだ。
     また、顔そのものの造形的なおもしろさもある。なぜか人は「顔」にひきつけられる。有名人のポスターをたくさん作ったアンディー・ウォーホールは今回、彼自身が作品となっている。
     柳井さんの作品は、ウォーホールの写真を元にしたシルクスクリーン作品と違い、そこに本人がいるような不思議な存在感がある。その作品が比較的大きなこともあり、じっと見つめられているようだ。
     奥の部屋の「遺物」なる立体像は2000年に作られたもの。金網で骨格をつくったあと紙繊維を流し絡ませながら、やはり紙すきの工程により紙で覆われ立体的肖像となる。精緻に作られたものではなく、遠くからだと誰かわかるが、近づくと人間かどうかもわからない。
     立体の印象派というか朧気で儚げ。それらの個々の人物の選択の基準は作者以外、他者にはわからない。多くは20世紀に何かを成した有名人であるが、今になっては、すべては印象、記憶だ、と作者は言いたいのかもしれない。
    そして今の若者たちは半分くらいしかその人がわからないかもしれない。人はすべてその時代に生きている。そして、結局、その顔、その人を知っているとはどういうことなのだろうか。
     20年前に作成した20体の「遺物」。それを20年後に「発掘」した。様々な思いがよぎる極めて刺激的でコンセプチュアルな展覧会だった。
     また、2回に及びパフォーマンスが開かれた。7日は絵と同じサイズのフレームを使った三浦宏予(ダンス)、ピアノと中近東の笛を使った笠松泰洋(音楽)、14日は能のようなお面をつかった木村由(ダンス)、アグレッシブな森重靖宗(チェロ)など多彩で充実し印象に残った。

                          
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  •      柳 井 嗣 雄 展 への感想
                               八 覚 正 大
  •  まずチラシを暑い夏の最中に某所で見掛けた。一見して分かる著名人たちの頭部。紛れもない既知のそれらが何の衒いもなく、堂々と並んでいる。「発掘」と題された展覧会だ。それが宇フォーラム美術館で九月に行われると。
     裏面を見ると、評論家が「物のアルケー(根源)に侵入して、内側から物を解体し再び組み立て直すという脱構築的な解体と再構築が柳井の制作の基本的な方法なのだ。……」と書いている。アルケー、ギリシア哲学の用語で、アナクシマンドロスがそれをアペイロン(無規定なもの)とした言葉だ。原理、始原、根拠……。根源か、混沌というと違ってくるか、などと思いつつ、言葉の思考は止めて、作品を拝見しようと思った。
     アインシュタイン、ケネディ、……ピカソ、昭和天皇、チャップリン、ボイス……ヒットラー…など、二十の人物画が第一室の壁に展示されていた。一見変哲のないポスターのような……でも地味な色と、どこか一抹の鋭さというか若さと言うか、を孕んだ顔々だった。黒沢明も、小林秀雄もいる、マリリン・モンローさえも……。
     宇フォーラム美術館二階の第二室は、一瞬ぎょっとする。それらが4×5列の頭部となって整然と並んでいるのだ。整然? その多くは一室の平面の画が立体化されたと言えばよいのだろうか。
     でも少し分かりにくく、知っているようで、名前とすぐには結び付かない崩れた感じのものもある。おそらく歴史の本やメディアの過去の写真を見て我々の脳に擦り込まれたイメージが喚起されるのだ。
     会ったことなどないのに、ああ「彼らだ」と分かるという不思議……。無名の人の頭部だったらどう違うのか、などと考え、かつて見た彫刻の形の数々が、浮かんでは消える。近寄ると、大きな頭部は軽い感触で、適度に穴が開いている。そこにある形は今まで見たものとは何かが違う。大谷石(凝灰岩)とか、海岸でみられる岩の感覚も微かに過る。地中から発掘されるとそうなるのだろう、か。作者が狙っているものは何なのだろう……間を徘徊する。肉体であれば腐り消えていく、金属なら時を超えて残されて行く……のだが、少し触ってみる、軽そうだ。
     そして一室奥にあった、今までの作者の制作パフォーマンスのアンソロジー的ビデオを拝見した。すると、展示された作品と繊維抽出行為の動画によって理解が繋がる気がしてきた。
     楮(こうぞ)を栽培し、それを収穫し煮て、そこから繊維をたくさん取り出す……その工程。繊維がドローイングのように残る美しい幅広の紙(それに石が置かれ)、新たに作り直した多くの丸い木の表皮、ほわほわした繊維の集積、それが屋外に布置され、やがて朽ちていく作品などが、たしかに植物繊維に解体され再び組み立て直す――ということを分からせてくれる。
     ではなぜ、今回著名人の頭部なのか? 確かに作者が影響を受けた人物たちなのかもしれない。でもおそらく、楮の繊維が先で、その〈もの〉を用いてこの世界に展開し再構築する……その一環として、たまたま影響を受けた著名人の頭部を平面に、そして立体に構築してみせた――のではないのか。それが木や石や、青銅や鉄やその他の金属、ガラス……などとは異なる「植物繊維」という〈もの〉の感触を用いてなのだ。
     むしろそこにこそ、あるオリジナルな〈意匠〉が感じられないだろうか。木のように生々しく削られ痕跡を刻むのではなく、石、さらに金属のように長く残ることを目論んだ存在への構築でもない。ガラスのように透明でもない――力まない、それでいて適度に〈ある〉ということを、中ほどに浮かせているような〈それら〉。人間の〈認識〉を(それさえある意味虚構とも言えるが)、ふっと掠め取り、でも重々しさや負荷を残さない……そんな感触を静かな風のように齎している作品群ではないかと。
     作者の一メートル脇で制作ビデオを拝見した。栽培した植物から繊維を取り出したり、液体を作り平面に著名人たちの顔を写し取ったり……いまここで解説する作者もビデオの中の行為する姿も、どこか楽しそうだった。次はどんな対象に、ファイバーを展開させて行くのだろうか。
                          
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  •      柳井 嗣雄(美術家、和紙造形)略歴
  •  1953 年 山口県生まれ。1977 年 創形美術学校版画科卒業する。
     1978‐80 年 スタンリー・W・ヘイターに師事(アトリエ17、パリ)。
     ’80年より銅版画家としてスタート。一方で、’89 年まで銅版画刷り師として活動する。
     2008 年まで「ふるさと工房五日市」和紙工房主任、2006‐11 年 くにたち文化・スポーツ振興財団理事、2002‐19 年 女子美術大学講師として勤務。
     版画用紙を自ら漉き始めたのをきっかけに1985 年より紙の作品制作、ペーパーワークを開始。
     物の在り様を、風化して消えてゆく物質的存在と、記憶やイメージとして現れる精神的存在とし、「物質と生命の記憶」をテーマにしたインスタレーション作品を特長とする。
    現在は飯能市でPAS 和紙アートスタジオ主宰。楮栽培から原料作り、様々なペーパーワーク技法の研究、開発、指導を行う。
     「日本国際美術展」佳作賞(’90 年)、「現代美術今立紙展」優秀賞(’86,’89 年)、大賞(’90 年) 受賞。
     「白州・夏フェスティバル」、「和紙のかたち」(練馬区立美術館)、「紙と現代美術」(イタリア)、「第1回アジア パシフィック トリエンナーレ」(オーストラリア)、「Nature‐素材と表象」(イスラエル)、「国際ペーパー アート&シンポジウム](台湾)、「Paper Object Festival 」(ラトビア)、「D’un bord à l’autre,Traverser la surface」(フランス) などに出品。ギャラリー21+葉、ギャラリーαMなどで個展多数開催。

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  • パフォーマンス ・9月7日 三浦 宏予(ダンス) 笠松 泰洋(音楽)
                  14日 木村  由(ダンス) 森重 靖宗(チェロ)
       
  • 2019 / 8月22日~9月15日






















 














 展覧会概要 「発掘」  柳井 嗣雄


 1999年に練馬区立美術館で発表した「風化した世紀」は、「Last Great Tree」と「遺物」の頭像を一緒に展示した作品でした。
 「遺物」とは、20世紀に亡くなった、私にとって重要な20人の人物(ジョン・レノン、マザーテレサ、アンディ・ウォーホール、三島由紀夫など)の頭像のシリーズです。
 太古の地層から発掘されたように、穴だらけで色あせたその巨大な頭たちは金網の上に紙の繊維を漉き絡めて成型し、その後、一ヶ月天日干しされ自然の力で完成しました。
 彼らは単なる歴史的人物ではなく、現代の高速デジタル化社会の中で、すぐに色あせて薄れてしまう我々の記憶の死を暗示しています。
 つい最近亡くなった人物ですら、たちまち歴史上の遺物と化してしまう風潮を映し出しているのです。肉体性を伴わない情報や記憶と我々はどう対峙していくのでしょうか。
 今回、「遺物」立体20点(世紀末版)とあわせて、新たに平面20点(平成版)を完成し同時展示します。
  

 会 場 1

 会 場 2

森重 靖宗 (チェロ)

笠松 泰洋 (音楽)

木村 由 (ダンス)

三浦 宏予 (ダンス)

和紙制作工程のビデオ

柳井嗣雄氏によるビデオ解説

会 場 の 様 子

※ 展覧会の様子がパノラマでご覧になれます