- 石 川 義 和 展 八 覚 正 大
私は仮面が好きである。お面に無性に惹かれるのだ。でも、それを載せる身体もろとも面白さを感じだしてもいる。
今回の展覧会はそれだけに期待が大きかった。かの染川先生のお弟子さんとはお聞きしていたし、アフリカ仮面群を擁する我がサロンにも、さらりとご来場頂いてはいたのだ……それらのことより何より、DMやチラシに踊る「十二神将」の身体の腹底から吐きだされたような気迫・凄味と、それでいて敢えて言えば〈表現〉の真髄を曝けだす意匠の面白さへの予感が高鳴っていたからだ。
出会ってみれば、まさに期待通りの展開が、爆発だ! と声高に言う必要もなく、そこに顕在していたのだ! 宇フォーラム美術館の今年の悼尾を飾るにふさわしい展覧会になったと実感する。
二階第二室(奥)に、ワッと出迎えてくれたのが十二神将。「子神」、踊っているようで安定した下半身、口を開いた青が吠える。
それから「丑神」舌を出しふっくらとした容貌の、でも身体としての重厚感が宙に舞う。「寅神」落ち着き払った上からの威圧、絢爛たる衣装。
「卯神」白い顔・妖艶なまなざし、でもいざとなったら容赦なくぶった切るぞ、という脅しを秘めた怖さ。「辰神」緑の顔、赤い衣服の上半身。怒りの中に実は優しさが。
「巳神」これは怖い、紐のような蛇を咥えて、絶対に逃さないという構え。鬼平を何故か連想。
「午神」腕を組んで、梃子でもどかない姿勢。
「未神」羊の耳被り、少しおどけた身振り、でも意志の強さは半端じゃないぜ。
「申神」真っ赤に燃える頭部、今にも踏み下ろそうとする足。おりゃ~と握り突き出した両こぶし。
「酉神」腕に鳳凰を載せた熟年の落ち着き。
「戌神」形相も凄く衣装も美しい。そして空手に近い構え。
「亥神」しゃがんで控えている、でもいつでもダッシュが可能なパワーポーズ。
どれも極まった姿形、衣装の絢爛さ、重厚な気迫、勢い、秘められたパワー……とともに、なかなかの遊び心が込められている。
それは作者の内面から発し、その抜群の技法を纏い、〈いまここ〉に踊りだしている。面白い、楽しい……だからといって容易に真似のできない描画の世界。このような質量の濃い〈面白さ〉があるのだ! と実感。
だが、それだけではなかった。第一室に戻りその入り口で見た「麦」がすでに足を止めさせていたのだ。その束ねられた勢い、一本一本の穂先まで行きとどいたまなざし。作者の並々ならぬ気迫はすでに、此処に放射されていたのだ。
さらに「雲浮かぶ」、青青とした麦の若々しい穂先から枯れかけた葉まで、余すところなく捉えられている。その他、雪の積層の繊細な青緑の推移を見せる「奥入瀬の冬」、「蓮世」の蓮の葉の差異の妙、立ち上がったねぶたの姿「立ちねぶた」、そして「櫻霊」の大作。地上を彷徨う霊と枝葉に浮揚する天女に込められた意匠が満開の桜の中で見る側の心の層に触れてくる。
そして極めつけは「なまこ漁」、一艘の浮かび上がる船、ぼんやりと淡い太陽、今まさに獲物を突こうとする漁師の間合いを貯めて天に伸びる棒、ここに芸術という漁(すなどり)に賭ける作者の渾身の姿を見たような気がした。
石 川 義 和 展について 宇フォーラム美術館館長 平 松 朝 彦
まず前室であるが、一見オーソドックスな日本画が並ぶ中、まず目を引くのは4枚の絵を館内で巧みに組み立てた巨大な「櫻霊」(2.4m×3.6m)。
不思議な赤い空気(妖気)が漂う桜の木には、(全体写真ではわかりにくいが)上部には天女、下部には遊ぶ子供たちの姿が線描でかかれていてこのデッサンもスリリングだ。
この作品は東日本大震災とほぼ同時に完成した。その後、青森県立美術館に展示され、見た人に亡くなられた人々を想起させて心をゆさぶる鎮魂の作品となった。
次に雪景色の中の白鳥の群れ「颯」、冬景色の「奥入瀬の冬」、いずれも水や雪の描写が見事。
一方、「熊野火祭」の火の表現、「立ちねぷた」の夕闇に光る様もリアルである。火は神道でいうと清める意味があるようだ。
その他の「麦」や他の諸作品を見ると日本画としての緻密でリアルな表現では最右翼ではないか。
次に奥の部屋だが、「十二神将」と「四天王」が並ぶ様は圧巻。
しかし今年、当館で展覧会を開いた師の染川英輔先生の手法とは異なる。
まず、あくまで過去の仏教(仏像)の研究からアプローチした完全主義者の先生と異なり、そうした従来の研究を参考に自分なりのイメージで描いたものだという。
染川先生が描かれた作品群と同様に仏像には筋肉がみなぎっているものの様々のパステル調の淡い色が画面上で水彩画調に混ざり合う。
しかし金具などはしっかり金泊が押さえられている。それは個性的な仏画であり、かつ現代的な仏画にチャレンジしている。
世界や日本の各地を巡り絵にする。しかし単なる画家のスケッチ旅行ではない。リアリズムの追求だけではなく、綺麗さ(美)にこだわり、スピリチュアルなものに興味を持ち、表現しようとしている。
その他の作品アルバムも拝見し、過去の制作に膨大な時間が費やされることがわかる。画家とは半分絵の中に棲んでいる人のことだと思わせる。
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- 作者より 石 川 義 和
- 仏教はヒンドゥー教やバラモン教など、古代インド宗教に加えて西アジアの神々などを取り入れながら発展した壮大な宗教体系である。
多くの仏様「如来」「菩薩」「明王」に分類され、さらにその方々を護る神々である「天」が存在する。
「十二神将」はその中で「天」部に属し、もとは主としてバラモン教系の神々であったが、仏法に帰依して東方の浄瑠璃光世界(浄瑠璃浄土)の教生・薬師如来の護法神となり、過去において如来が菩薩として修業中に頃に、衆生の悩みや苦しみを和らげて悟りに導くために起こした十二の大願・「十二の誓願」を守護する神将といわれている。
これにより十二神将は薬師如来とともに造られ、通常はこの薬師の眷属として安置されていることが多い。
また十二神将には十二の月や・方角を交互に司り絶えず衆生を救済するという考えがかなり早くから認められ、さらに「十二」という文字が十二支と一致するためか、十二神将と結びつける考えが生じ、頭部や衣装に十二支の支獣を標識として配した彫像遺品も平安後期からみられ鎌倉時代以降本格的に結びついたと考えられる。
今回、何よりも所作や形相、容姿、衣装には特段の決まりがなくイメージの自由な飛躍ができた。