平松輝子展の記録

 

    平 松 輝 子 展

                「日本にはTERUKOがいた」

会 場 の 様 子

(地霊シリーズ)193×130、木、紙、麻布、墨
「壊」 182×182 タイル、麻布、石膏、和紙、墨
(地霊シリーズ) 198×100、布、釘、蛍光灯
「凝」183×92、アルミ、麻布、
        セメント、石膏、和紙、墨
(地霊シリーズ)181×119、木、紙、墨
部 分
部 分
(地霊シリーズ)185×130、板、布、海藻
部 分
水と石」35×40、和紙、墨、石

※ 展覧会の様子がパノラマでご覧になれます























 

 

 

 

 

 今回の初めて展示する畳二枚大の大作。
 アルミによる輪。割れたタイル。セメント、石膏。
これを見た人は戦後のドイツの現代美術を代表するアンゼルム・キーファーか、アメリカ現代美術の大家の一人、ジュリアン・シュナーベルの作品だというだろう。
 しかしこの作品は彼らのデビューのはるか前に描かれ(作られ)た和紙と墨の作品。
この作品は戦争、暴力、破壊、カタストロフをイメージさせる。
 1963年に制作されたこの作品が1964年にアメリカに運ばれていれば世界の美術史は変わったかもしれない。
 1964年、ニューヨークで活躍していたアメリカ国籍の日本人画家、金光松美氏は具体美術協会の吉原治良氏の招きにより戦後初めて来日した。
 平松がこの年日本橋画廊で開いた「現代の墨」展はジャパンタイムスに掲載されたためか、金光氏は数人の関係者とともに国立の平松宅を訪れた。
 金光氏は輝子に渡米を強く勧め、輝子は小学校の教諭でありながらその年にニューヨークに行き個展をすることになる。
その時、アメリカに運びたいが大変な運賃がかかるといわれて断念した絵がある。
 おそらくその作品がこれ「壊(私の命名)」ではないか。畳二枚分のパネルに多くのコラージュがされて重いだけではなく縦で運ぶと運搬中に壊れる可能性もある。
 いずれにしろ具体の画家たちの作品を見た金光さえも驚かせた。これはまたモノ派のようでもあり、ダダイズムのようでもある。
 先端のミクストメディアだが「現代の墨」という展覧会名のように古い墨を使っている。
 さらには50年代のAGO、異質展などでも伺えたエネルギーにあふれた大胆な作風はかわらない。

 

 世界の絵画を見れば50年代後半のタピエスからダダイズム的なものは生まれていて、影響を受けたのかもしれないが、これは真似ではない。
 影響を受けながら美術史は生き物のように動いていくのだ。
 その他の作品は1987年以降に旧館で発表された地霊シリーズ。
 これはドイツから帰国した後に取り組んだ「現代の墨」の続くコラージュ作品。これは1960年からの作品が発展したもの。
 日本の伝統的な霊の世界がテーマであり本も上梓した。
 ドイツに行った輝子はヨゼフ・ボイスに興味を持つ。その理由は、彼の絵のテーマがスピリチュアルだったからである。
 スリットから光が漏れる作品には大きな釘が何本も刺さっている。その他、水墨画の上に木片や石をコラージュした作品はその後の1990年位に描かれた。
 一つの作品は石を絵の上に置くように指示があった。世界初の水平に置いて見る絵画?  絵という世界をはるかに超えた自由な表現。
 それが今回の二人展。開館20周年の年にふさわしい、あるいは遅すぎた展覧会。

2019/11月7日~11月24日