原田丕 展 -Landscape2020-の記録

   原 田  丕  展
     - Landscape 2020 -

2021/4月1日(木)~ 4月18日(日)

展 示 作 品

B (162×162)

C (73×61)

A (53×45)

D (227×182)

 舞踏  空豆

 ピアノ  灰街 令

 ギター  伏見 瞬

 コントラバス  細谷 拓馬

 パーカッション  山㟁 直人

 ピアノ  矢部 優子

  ピアノ、コントラバス、パーカッションによる現代音楽的フリージャズ         4月18日(日)


やはり原田作品の前で原田丕さんの知り合いの矢部優子さんの企画。
ピアノ、コントラバス、パーカッションによる現代音楽的演奏スタイルのフリージャズが原田さんの作品とマッチした。
今回、矢部さんと二人は初対面ということだったが、驚くことに息がぴったり合っていた。

  ※「大荷田とは・・・・」

大荷田(長淵丘陵)は、青梅市の南部の丘陵地に位置し、地元住民の運動によって開発から免れた約90haの緑地である。
雑木林や湿地、小川などが残るモザイク状の土地利用が維持されており、ムササビやトウキョウサンショウウオなど里地里山に特徴的な動物の生息が確認されている。
環境省により、さまざまな命を育む豊かな里地里山を、次世代に残していくべき自然環境の一つであると位置づけられており、大荷田は生物多様性保全上重要な里地里山(500箇所)の一つとして選定されている。

  「シン・ジャバノイズトロニカ」             4月10日(土)、11日(日)


原田作品の前で灰街令、伏見瞬による現代音楽的フリージャズセッションが開かれた。企画は矢田冨士子さんで、フェイスブックで集客とのこと。舞踏の空豆によるダンスパフォーマンスも加わった。
国立音楽大学の作曲家修士課程2年の灰街さんの企画のクールな二日間の演奏会で若い人達も集まった。終了後の観客参加のトークも含め観客の熱意を感じた。

G (182×454)

F (227×364)

E (162×260)

「断面・線 (部分)」

会 場 の 様 子

※ 展覧会の様子がパノラマでご覧になれます























 

 

   原田 丕 展    Landscape 2020 ― に
          大荷田からの光       美術評論家   八覚 正大
             

深くも暗かった……かつての抽象作品群の印象。
飛び散った血の飛沫がくすみ残ったような――ところが今回それは内側からの命の暖かみを重厚に湧かせ直し…… そう、ずっと奥にしまい込まれていた命の埋火が再び息を盛り返し湧き出したように美術館全体に溢れていた―― 命だ、命が復活し呼吸を再開したのだ。
重力のままに上から下へ引かれる黒い線、そこには偶然の斑や凹凸が生まれ、作者はその後を意図せず追っていく――その偶然の行為から、抽象の形の中から、それを見る者の目を通し……形象が引き出されていく。
すっくと立つ人の姿や、仏像のような、あるいは女人の後ろ姿や、闇の中から溢れ来る「何か」……。
あのマルメロの実の、爆発噴火し吹き飛んだ山頂のような画面から、こうして人間の身体、その奥の臓器、骨、血管……細胞…命に触れ直す〈踏み分け道〉をたどる芸術家 ―― 原田 丕。
感染力の強い変異したウイルスが至る所でまき散らされ(その行為者は実は人間なのだ)、憂い、落ち込み、恐れ、嘆き、そして諦め……そんな自己矛盾に気づきさえしない、気づいても変えられない人間社会。そんな中、ひとりの芸術家が、命の歩みを行為として見せてくれた。
科学だけでは片方に過ぎない人間の歩みの、もう一方の歩を闇の中から引き出し見せたのだ! 発光する人間の行為 ―― 芸術という創造の営みを。
Landscape 2020…風景画―と題されたこの展覧会。それは、まず驚きから始まった。
かつて宇フォーラム会員展で出逢った、大荷田という小品、それには桜の花びらのように舞っている何かがあった。以後、迫力ある大作群を拝見し、またデッサン風に描かれた大荷田の風景情景にも触れ、何より腐れ朽ちたマルメロを巨大に描いた作品群には作者の追求する「滅びへの美学」を感じさせられてはいた。
河鹿園を中心にその一室に展開される、幽玄から幽霊の感触まで伝わってきそうな画面には魅かれつつも、近寄り難さが漂っている気がしていた。
それらを残しつつも、今回第一室の入って右壁に並んだ作品群には驚きと感動を禁じえなかった。
まず、小品ながら乾燥し古びた実の作品、それはくすみ傷を持ちながら、破裂し飛翔する方向へは向かわず、人間の背中のような姿に昇華されていく。それがオレンジ色の光をくねる身体に浴びた作品になり、それから右に女体の立ち姿が、中央から左にもその肉体の内部が展開されたような(といってもすべて抽象なのだが)作品に、そして骨が折られ中の髄が光って見えるような作品に繋がっていく。
さらに臓器が浮遊したような感覚のものに、そして縦長の大きな画布に何体かの肉体が寄り添って立つような……それはみな、見る側の投影かもしれないのだが。
それから第二室(奥)に入ると、大画面が右壁面、奥の壁、そして左の壁面に二点、振り向いた入り口すぐ右、と五点展示されている。右の大作は、まさに肉と血管、腱……などの臓器を拡大した感じだ。
正面奥の大作も、縦横に動脈静脈、リンパの流れ……が拡張された感覚、左壁の二作は、どこら辺の臓器だろうか、腸骨とか、大腿とか……と連想された。
このLandscapeは言ってみれば人間の肉体内部の光景ではないのか ――。
ただ、一番惹かれたのは入り口すぐ右脇の縦長の作品だった。
かつてこの場に、作者は巨大な宇宙のような黒い空間を描いた作品を出していたのではなかったか。今回はその暗い黒い世界から、象のような何か動物の顔が出現したイメージが湧く……太古の暗黒の中から、それは力強い命の出現だ、そしてそこにも、今回第一室右壁の五作に現れたオレンジ色の光が湧いている。
オレンジ色の光 ―― それこそ今回の展覧会の最も感動し興味を惹かれた色だ。
かつての滅びの様相の象徴のように血の飛沫を投げかけ、暗い中にその痕跡が飛散する過去の証が残されていた作品群 ―― それに比して、今回の特に五作には命の埋火が再び内側から燃え出し直した ―― そんな感があるのだ。
それは拡大された臓器のような作品や、一室左壁面の過去の血の飛沫の作品と呼応しつつも、命の復活を見せる〈新たな〉作品群と言える。
その接点、それが開かれた刹那の象徴として、ゾウの頭部のイメージの大作が位置する ―― 己にはそう見えたのだ。
この美術館に関わらせてもらい十余年にはなる。そんな中で大きな感動を瞬時にして与えられた展覧会だった ―― と特筆しておきたい。
西欧の技法と、日本的な魂と、それらを通り繋げ、さらに抽象美術という手法を模索しつつ果敢に進んで行くこの作家の〈いまここ〉の歩み ―― それを見事に展開させたスケールの大きさと志が、実にうれしく賛嘆の念を禁じえない。

 埋火の 照らす命の 景色かな

   原田 丕の新たな動植綵絵 
                     宇フォーラム美術館 館長 平松 朝彦

大荷田の里といえば東京都といえどもポツンと一軒家状態の山の中、小さな泉にはトウキョウサンショウウオが棲むという地域が作家の長年のモチーフである。
作家は「今年の春も勾玉型の卵は産まれる。コロナに明け暮れた2020年はトウキョウサンショウウオの目にはどのように映りだされる風景を記録していこうとの思いながらの制作の日々を過ごした。」と言う。
誰にも似ていない独特のスタイルで日本美術の「自然美,侘びさび」という常識を突き抜けて前人未踏の「滅び」の美を求めているように私には見える。

 追 記
展覧会早々、会員の東日出夫氏が偶然にもトウキョウサンショウウオの調査員であり、今年の写真を撮ったので、と写真を届けてくれた。
それは10cm位のカワイイ黒く小さな生き物。水たまりに勾玉型の卵を産むが、生息しているのは人のいない山の中の木の葉の下で人目に触れることはまずない。
2020年、東京都民は新コロナに感染しないようにひたすら自粛を強いられている自宅に引きこもったりしているわけだが、トウキョウサンショウウオは外敵に捕食されないように常に引きこもっていないと命が危ない。
同じ2020年という時間を共有しながら生物たちには懸命な生の姿がある。
さらにいえばトウキョウサンショウウオも人間も同じ生物。サンショウウオの中の命のメカニズムと人間の命のメカニズムは同じ。
新コロナに感染しなくても時間が来れば死んでしまう儚い存在に変わりはない。
それは原田 丕と言う画家による、若冲が描いた「動植綵絵」のような仏教的世界観なのかもしれない。
昼なお暗い木漏れ日の枯れ葉の下で、人知れずひっそりとひたすら生を営む彼らにこの大荷田の地以外に棲む場所はない。
地球は人間だけのものではないという作者の意識にも納得させられる。さらにトウキョウサンショウウオだけでないただならない気配を感じる植物群。
人間が絶滅しても植物は生き残る。
奥の展示室は150号Fの二枚構成の大作二つが迫力。絵画自体は具象のような抽象のような、であるが、この地のランドスケープの生命の有様を表現した絵画の展覧会だった。